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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

2 鉄人たちの夏を迎える-松山市中島-

 松山(まつやま)市中島(なかじま)(旧温泉(おんせん)郡中島町)は県都松山市の北西約15kmの沖合に位置する六つの有人島(野忽那(のぐつな)島、睦月(むづき)島、中島、怒和(ぬわ)島、津和地(つわじ)島、二神(ふたがみ)島)と22の無人島で構成される人口約5,000人の地域である。同地域は、波静かな海、白砂青松の島々が織り成す多島性景観などの恵まれた自然環境から瀬戸内海(せとないかい)国立公園にも指定されており、温暖な気候をいかした県内有数のミカンの産地となっている。
 『トライアスロン中島大会(*4)』は1986年(昭和61年)に四国初の大会として開催され、本年の開催で22回目となっている。近年、「トライアスロンの島、中島」というイメージは定着し、中島ならではの選手への心のこもったもてなしと大会の運営は、いまや県内外の選手に知れ渡り、トライアスロンの専門誌によると現在国内で開催されている90余りの大会のうち、「出場したい国内大会ベスト10(①)(平成18年度)」にランク入りするほどの人気ぶりとなっている。
 本年度の大会には県内外から418人の選手が出場し、約800人のボランティアが運営を支えた。22年間にわたり瀬戸内の小さな島に全国各地から多くの選手が集い、島にくらす人々との交流を深めてきた同大会について、立ち上げの経緯や取組の様子を元大会実行委員長の**さん(昭和28年生まれ)、現実行委員長の**(昭和34年生まれ)さん、民間団体「七志開」の**さん(昭和26年生まれ)、実行委員会事務局の**さん(昭和34年生まれ)に話を聞いた。また、各地から参加した選手に中島大会の魅力を聞いた。


*4:中島大会 トライアスロンの世界初の大会は昭和53年(1978年)にハワイのオアフ島で開催されている。中島大会はそ
  のわずか8年後に実施されている。日本初の大会は昭和56年8月の鳥取県皆生温泉海水浴場で行われた。

写真4-1-3 激しく競り合う(スイムコース)

写真4-1-3 激しく競り合う(スイムコース)

姫ヶ浜ビーチ。松山市長師(中島)。平成19年8月撮影