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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(2)食べるものも家で

 現在はスーパーマーケットがあり、米や醤油(しょうゆ)から生鮮食料品まで食べるものは、ほとんど購入できる。農業技術の進歩や冷凍保存技術の進歩により、多くの食べ物を一年中手に入れることが可能で、季節感が薄れつつある。しかし、かつては味噌や醤油、豆腐から子どものおやつに至るまで全部自分の家で作っていた時代があった。これらを作る方法は母から娘へと受け継がれ、家庭を支える女性の重要な仕事の一つであった。自家製味噌で作った味噌汁はまさに『おふくろの味』だったのである。

 ア 自家製味噌、醤油、豆腐

 東温市の皆さんは、「醤油(しょうゆ)や味噌は1年分作ります。味噌を作るのは夏ですが、麹(こうじ)を寝かすのに暑すぎたらいけないので、お盆が過ぎて少し涼しくなったころから9月にかけて作りました。醤油も同じころに作ります。こんにゃくはコンニャクイモを植えており、家で作りました。大根、白菜、ナス、キュウリなどの漬物や梅干、奈良漬、ラッキョウほか、麹のみがらしづけ(ナスを使う)などは大概の家で作っていました。お茶もおばあさんが作っていたので、よく手伝いました。フジの葉で作ったお茶(フジ茶)は色(黄色)もきれいに出ておいしかったです。」と話す。**さんは、「昔は正月や節句、お祭りなどの前になると、家で豆腐を作っていました。おばあさんと一緒に作りましたが、おばあさんがしなくなってからも自分一人で作り続けました。家で大豆を一晩水につけておき、それを石臼(うす)でひきます(今はミキサーを使う)。それを大きな釜に入れて沸騰させ、これを布の袋に入れて絞ります。絞った後の袋の中にはおからが残ります。絞った液ににがりを入れると固まってきますが、これを布巾(ふきん)を敷いた箱に入れて作ります。店で買ったのよりはおいしかったです。自家製豆腐の作り方は、母から教えられました。味噌も作っていましたが、おばあさんが亡くなってしばらくして作らなくなりました。」と話す。
 松野町の**さんは、「母は味噌や醤油、豆腐、こんにゃく、お茶を家で作っていました。私は作ったことがなく、嫁入り先の姑も作ってなかったので、母はわざわざ吉田まで自分で作った味噌を桶に入れ担いで持ってきてくれました。これで味噌汁を作ると、嫁ぎ先の家族に大好評でした。」と話す。
 明治、大正時代に生まれた女性は、普通に家で味噌・醤油や豆腐、こんにゃく、茶などを作る習慣があったようだ。その作り方は、娘や嫁と一緒に作ることで伝えられたが、昭和生まれの女性になると作り方は知っているものの、高度成長期あたりから市販の食品が簡単に手に入るようになったため、手間のかかる自家製食品は次第に作らなくなっていった。

 イ 自家製のおやつ

 かつては子どものおやつも自家製であった。県内各地では、特色のあるおやつが母親の手で作られていた。 
 東温市の皆さんは、「トウモロコシやサトウキビ、サツマイモ、イチジク、ビワ、クリ、カキなど一年中子どものおやつはありました。サツマイモからカンコロ餅やヒガシヤマ(干しイモ)も母がよく作ってくれました。お節句に作ってくれたのは『りんまん(*3)』と菱餅、醤油餅(*4)です。『りんまん』も醤油餅も中予地方独特のお菓子です。」と話す。
 新居浜市の**さんは、「子どものおやつは、あられ、かきもち、パン豆(ポン菓子のこと)などがありました。パン豆は作る人が巡回してきました。そのときに『お米一升(約1.8ℓ)持って行ったら一斗(18ℓ)のパン豆になる。』と言われたことがあります。お米をパン豆にすると膨らんで大きくなるのです。店でお菓子を買ったことはありません。近所の駄菓子屋でくじを引きたくて、『お金ちょうだい。』と親に言ったら『お金はそんな所で使うものではない。』と怒られたことがあります。」と話す。
 四国中央市の皆さんは、「終戦後のお砂糖がないころは、小さく切ったサツマイモを入れた蒸しパンを作りました。サツマイモを小さく切って入れると、サツマイモの甘さが出るのです。子どものとき、遠足に『オハゼ』を炒(い)って持っていったことがあります。正月用についたお餅を小さく切り色をつけ、これを炒ったものがオハゼで、おかきのようなものです。ひな祭りにもこれを食べました。お餅つきのとき、サツマイモをたくさん入れてつくと量が増えるので、イモ餅もよく作りました。イモ餅は柔らかいし結構おいしかったです。」と話す。
 保内町の**さんは、「子どものおやつはイモでした。あのころはイモ団子。家で母が作りました。小麦を団子にしてお湯の中に入れ、しばらくすると浮きます。これをイチビといい、お砂糖をつけて食べます。ハッタイはトウキビの粉です。ハッタイは缶に入れて湿気がこないように保存しました。麦の粉はオコウセンといい、お砂糖とお茶を入れて混ぜて食べます。これらは農家の代表的なおやつですが、それぞれとれる時期があるので日常的なおやつではありません。」と話す。

 ウ おふくろの味を伝える

 東温市の**さんは、「結婚したとき、うちは7人家族でした。自分の子どもが増えるうちに、兄弟は片付いていくので、家族の人数は大きくは変わりませんでした。味噌汁は母から教えられたようにつくりました。『おふくろの味』は母から娘へと受け継がれていくのではないでしょうか。」と話す。
 松野町の**さんは、「主人の家は元庄屋で、姑は家事全般を女中さんに任せており、自分の味というものがありませんでした。それで料理の味付けは最初から私の味でよかったのです。嫁ぎ先は何かのときには仕出しを注文していたらしいのですが、私の実家はいつも手間隙(ひま)かけて料理する家でした。私の味付けは小さいころより実家の母の手伝いをして身に付いたものです。嫁入り先で私の料理は好評でした。」と話す。
 保内町の**さんは、「嫁入りしたとき、姑から最初は私の里の味でやりなさいと言われたのですが、小姑(主人の弟・妹)に『味が違う、食べにくい。』と言われ、嫁ぎ先の味にせざるをえませんでした。」と話す。
『おふくろの味』は母から娘へと受け継がれていったが、大家族に嫁入りした場合、家により事情は異なるが、味付けは嫁ぎ先の姑の味にせざるをえなかったところもあるようだ。


*3:りんまんは、米粉で作った餅の中にあんこを入れ、上に紅・黄・緑に色付けしたもち米の粒を飾って蒸したもの。
*4:醤油餅は、米粉と醤油を原料にショウガ風味などを加えて蒸して作った餅。