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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(3)休日は主婦になりきる

 「昭和35年(1960年)に結婚しました。主人は伊予鉄道に勤めていました。同業ではないのですがライバル会社でした。しかし、同じサービス業でお客さんを扱うということでは話が一致しました。当時は、女性で結婚後も働いている人は少なく、結婚が決まるとやめる人が多かったのです。独身の時には、結婚が決まり晴れがましく退職していく人がうらやましく思ったこともありました。結婚後働いていても、子どもができたのを機にやめる人も多かったです。やはり育児は女性にとって大きな負担ですから。昭和38年(1963年)に長女が、42年に長男が生まれました。当時は、子どもが出来ると子育てがあるので、働きたくてもなかなか働くことができない環境であったと思います。もちろん産前産後休暇、育児休暇もありましたが、今のように長くはなかったのです。私の場合は、実家の母が子どもをみてくれたので働くことができたのです。共働きの家は二人三脚で子育てをしますが、私の家は母がいたので三人四脚で子育てができました。恵まれていたと思います。仕事を続けられたのは母のおかげです。子どもができてからは、朝主人が子どもを車で大街道三丁目の実家に連れて行き、母に預けます。帰りは、私が実家に行き、主人の仕事が終わるのを待って一緒に家に帰っていました。子どもの家は実家のような感じで、自分の家には泊まりに帰るような状態でした。それでも出勤前には朝食の準備、お弁当作り、洗濯など家事をこなすのであわただしかったです。定休日には、掃除や洗濯など家事に追われていました。本当に時間が欲しかったです。困ったのは、私の休みが月曜日なので、参観日や運動会などの行事には行くことができなかったことです。それが心残りです。今娘たちが、母親として子どもにすることを見ていると、私とは全く違うと思います。」