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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(5)初の女性部長へ

 「昭和49年(1974年)に食品部の主任になり、同じ年に課長になりました。デパートにはお推(すす)め販売というものがあります。全店販売で全店員が自分の所属する部所に関係なく呉服や宝石など様々な商品の売り出しに協力しなければならないのです。私は食堂でいろいろなお客様に出会いかわいがってもらっていたので、販売するときにいろいろなお客様に声をかけることができました。そのため、どんな商品のお推め販売でもトップクラスの業績を残すことができたのです。食堂の仕事をし、販売の仕事もする、自分にとっても充実した毎日だったと思います。
 昭和59年(1984年)に外商部の課長に配属になりました。家庭向け外商を主とした女性の外商チームを作ることになり、そのリーダーとして抜擢(ばってき)されたのです。生活に根ざした女性の感性を生かし、女性特有のきめ細かなサービスをお客様に提供しました。その後、平成元年(1989年)に三越松山店初の女性部長として外商部専門職部長になりました。女性の地位が職場で認められたということを誇りに思いました。入社当時は、三越でも男性だけが役職に就き、女性は指示通りに働くという状況でした。社会全体がそういう状況であったと思います。昭和47年(1972年)に勤労婦人福祉法(昭和60年の改正により男女雇用機会均等法になる)が制定され、職場のなかでの男女の差が徐々に縮められてきました。昭和49年に私が主任から課長になった時には、松山三越の全社員460名のうち主任以上の管理職が72名でした。その中に女性の管理職が6名いました。計算すると全体の8.3%にあたります。それでも勤労婦人福祉法の制定によりこれだけ登用されるようになったのです。その後、女性の高学歴化、就業年数の増加、女性の職業意識の高まりにより、男女問わず専門的知識や能力が優れた人が管理職へ登用されるようになってきました。女性の管理職の数も増加し、賃金についても男女の差がなくなってきました。私は仕事が好きであったので、給料のことはあまり考えてなかったのですが、入社当時は同期の男性と比べると大きな差があったと思います。デパートのような職場では、男も女も同じという意識を持たないといけません。今は結婚後も女性が働くのが当たり前の時代です。女性も働くことにより人を知り、学び、自分を磨くことができると思います。
 私は、三越に昭和25年(1950年)から平成7年(1995年)まで45年間勤めました。良いことがあると『さすが、天下の三越。』、何か失礼があれば『天下の三越とあろうものが。』、とにかく『天下』という言葉がつくので、いつも心して創業300年の歴史にある『まごころのサービス』を心がけてきました。自分が三越の社員であることに誇りを持つと同時に、自分の言葉遣いや行動がお店の信用につながるので、日々精進していました。今でもその気持ちは忘れていません。たくさんのお客様と出会えることが喜びであり、財産になりました。お客さんから得たものが、人生の肥やしになっているのです。」