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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(1)新生活運動のはじまり

 ア 新生活運動のきっかけ

 戦後、日本再建の小さな槌音(つちおと)のなかから全国各地に村づくり・町づくりの運動が起こり、それらは総称して「新生活運動」と呼ばれていた。昭和22年(1947年)片山哲内閣の時、政府の「新日本建設国民運動」の目標の一つに生活の科学化が掲げられ、全国各地で行われるようになった。その名称も県によって異なり、愛媛県や石川県では「生活改善運動」というが、山口県では「農山漁村新生活運動」、広島県では「生産県民運動」、宮城県では「新生活建設運動」、静岡県では「自力再建県民運動」などと呼んでいた。関東地方の茨城・埼玉・栃木・神奈川県では「新生活運動」と呼んだ。こうした動きに対し一つの方向づけを与え、国民運動として展開していく中核となったのが、昭和30年(1955年)9月、鳩山一郎首相の提唱によって結成された「新生活運動協会」であった(①)。
 本県の新生活運動は、「食生活の改善」を中心に展開された。これは広範囲にわたる推進が網羅的になるのを避け、県民全ての日常生活に最も関係の深い食生活の改善に的を絞り、そこから諸活動を誘導し、運動の実効をあげようとした(②)。新生活運動協会が結成されて約1か月後、県では副知事を会長とし県庁関係部課で構成する愛媛県食生活改善運動普及推進協議会を設立し、県民運動として展開することとした。それまで、県下12か所の保健所には栄養士がおり、農業改良普及所には農村生活改善普及員がいたが、それらは従来、同じ住民に対して同様な行政サービスを行うことがあっても連絡をとることがなかった。これを見直して、連携しながら食生活改善をはじめとする様々な分野での生活改善を推進したのである(③)。

 イ 生活改善の必要

 生活改善の問題はどのようなことか。1例をあげてみよう。南宇和(みなみうわ)郡一本松(いっぽんまつ)村(現愛南(あいなん)町)では、昭和29年(1954年)の「一本松公民館報」第20号に次のような記事がある(④)。「農村冗費(じょうひ)の筆頭は、冠婚葬祭で、一番馬鹿馬鹿しい費用はお客の飲み喰(く)いであると思う。この辺りの農村では、お客をする場合、その料理に鉢盛(はちも)りといって、大きな鉢に盛って部屋一杯(いっぱい)に並べる。主人側がそれをとって客にすすめたり、客もまた自ら箸(はし)をつけていただいたりするのである。この鉢盛り料理は、値の高い魚を、たくさん使ったものほど立派な御馳走(ごちそう)ということで、ことにその量は、客の実際食べ得る量の何倍かも盛り込まれ、数多い鉢が並べられるのが盛宴で、盛大な歓待になるということなのである。」
 また、喜多(きた)郡内子(うちこ)町では、昭和33年(1958年)の公民館報「うちこ」第10号に次のような記事がある(⑤)。「座敷(ざしき)では男だけが飲めや歌えの大さわぎ、主婦は台所でてんてこ舞いといったことや、体面や義理にとらわれてお祭りに何千、何万とお金を費やしたけれど、明日からは味噌(みそ)に漬物のみじめな生活に逆もどりと云ったお祭りでは、お祭りが苦にこそなれ、生活を楽しむための秋祭りとは縁遠いものといえます。」
 このように食生活の改善は、冠婚葬祭の節約や簡素化、台所(かまど)の改善、環境衛生、冠婚葬祭の因習打破など、さまざまな問題とも結びついている。そして何よりこれらの問題は、住民1人ひとりの意識改革にかかっており、みんなで理解しあって実行しなければ改善が難しいのである。
 昭和29年(1954年)12月、宇摩(うま)郡土居(どい)町(現四国中央(しこくちゅうおう)市)の広報「ちかいまつ」第4号で、生活改善普及員の長野延子さんは次のように述べている(⑥)。

  「私達の生活の中には、農村といわず都市といわず改めなければならない事が沢山(たくさん)あります。たとえ改善しよう
 としても、そこには色々障害があって中途で挫折してしまう。その揚句(あげく)には『もう駄目(だめ)だ。』とあきらめてい
 るのが現状であります。(中略)楽しい生活は自分からの創意と工夫とで創(つく)り出すべきものであると思われます。
  食卓に四季おりおりの花を飾るのも生活改善の一つであります。一輪の花によって家庭の雰囲気が和(なご)やかになり、1
 日の労働に疲れた心身が洗い清められ、明るい台所で栄養にとんだおいしい料理を盛り、みんな揃(そろ)って楽しく賑(にぎ)
 やかに食事をする事、子どもたちは1日の中で一番楽しい時で、学校で習った事を語りあう。そこに家庭の教育があり、子ど
 もの健全な成長があります。
  野菜にしても販売用のものはともかくとして、毎日の食膳に盛る野菜の作付けは主婦が責任をもって計画をたて、手近な畑
 の隅にほんの一株ずつでも作っておくと便利です。畑と一貫した料理計画が生れて来(き)、新鮮さと楽しさが生れ、ここから
 も明るい町が建設されて行くでしょう。
  こうした事も皆主婦のちょっとした創意工夫と改善によって、私達の周囲の案外手近な所より幸福が得られるのではないで
 しょうか。
  生活改善の仕事というとよく料理講習会になりますが、せっかく講習会で習って来てもなかなかそれが日常生活にはいり
 こまない、生活の中にとけこまなければ何度やっても同じ事だと思います。大勢の集いより5人でも6人でもよい、知りた
 いとしている問題にお互いに助け合い協同精神を養い、研究実行していこうではありませんか。」