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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(1)簡易水道の必要性

 「水道づくりは、私たちより年上の人たちが力を入れてしたことです。槇の木生活改善グループでは食生活の改善や季節保育所の開設、台所改善など、それまでもさまざまな活動をしてきました。保育所は、グループの人たちが声をあげて作ったものです。ですから『何でも力入れてみんなが協力したらできる。』という気持ち、団結力が強かったのです。
 簡易水道のないころは、どこの家も山の水を引いたり井戸水を飲んだりしていました。台所の改善はできても、水は小川から竹どいで引いた水を使うため、雨が降れば濁り、夏には水はあっても農薬の心配があり、冬の渇水期には洗濯機を使いにくい状態でした。葬式の時に水がないということもありました。大勢の人が家に集まると水が足らないのです。水道がなかったので、ずいぶん下の井戸のある家から炊事に使う飲み水を汲(く)み上げていました。
 飲用水は、井戸水では水質の問題があり、また小学校や保育所が地区内にあって子どもが多かったので、簡易水道が必要だったのです。『安心して使える水が欲しい。』というみんなの願いを、昭和48年(1973年)1月、県が主催する巡回相談所で提案し、私たちの生活改善グループが各戸の実態調査をもとに水道整備を取り上げて欲しいと訴えました。
 地域や関係機関の人々は、趣旨には賛成するが大変なことだと消極的な態度でした。自治会の男性は、『これから後は、市側から働きかけがあった時点でじっくり考えたら。』という意見でした。女性側は『市の出方を待つのではなく、地元の受け入れ態勢と条件を作るべきだ。』と主張しました。
 そして、『誰かがやってくれるのを待っていてもしようがない。』と、生活改善グループが団結して簡易水道設置運動として取り組むことにしました。それからが大変でした。地域の人の理解、水利権の問題、経費負担など、一つ一つが生活改善グループにとって大変なことばかりでした。」