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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(2)生活改善グループの奮闘

 「水道整備の了解をもらうため、槇の木生活改善グループの**さんたちが水利権を持つ方の家を説得に回りました。つらい思いをしたのは、水利権を持つ家の人が『水がなくなって、田んぼが作れないときはどうしてくれるか。』と、農業用水を飲用水に使うことに反対したことです。山手の上の方に住んでいる人から反対されました。水源地はそれよりずっと上でしたが、上で取水すると下りて来ないと反対されました。『女が出しゃばっても損はみえている。』とも言われました。また家庭でも夫から『水は血をみるほどの問題だ、女の手には余る。』などと言われました。普通なら絶対に通らない話でした。男の人を差し置いて女の人がするなどというのは通らない時代でしたから。途方にくれてこんな歌も詠まれています。
  『水源を頼みて廻る雨の道 夜ごと女性の列を連ねて       **』
  『むづかしき水のこと等(など)するでない 夫に言はれしこと幾度(いくたび)か     **』
 道であいさつしたり、畑仕事している人をみつけたら遠回りでも横を通って声をかけたりしました。一度断られた家へも別の人が行くとか、仕事が一区切りついた時期を見計らって行くとか、根気よく説得を続けました。新居浜に住んでいる地主の方を2度訪ねていったこともありました。
 そのうち相手も次第に話合いに応じてくれるようになり、反対していた方も『反対はしたが、考えてみたら田んぼなんかどうでもよい時代が来るぞ。そら飲み水の方が大事なわい。』と理解してくださる方も現れました。『山の湧き水を提供してもよい。』と言ってくれる方も出てきました。反対が多かったのですが、県へ要望したので、生活改良普及員の方からも激励されて進めることができました。また、陰で姑(しゅうとめ)さんたちが私たちを応援してくれていました。難しいことを言う男性に酒をふるまったり、病院でたまたま居合わせた時説得してくれたりしていたと、後で聞きました。
  『行きづまり途方に暮れる日々久し 老婆の助言糸をほぐして     **』
 こうして地元の了解を取り付けた生活改善グループは、市役所で市長さんに陳情することになりました。当時のリーダーも市役所へ出かけて行ったのは初めてのことで、足ががたがた震えていたということを、後になって話して聞かせてくれました。会員であった私たちも、それはそれは一生懸命でした。
 ここでまた一波乱ありました。市の職員から、地元負担金や水源地の登記など条件が示されたのです。ところが地元では『市役所が言うことに楯突くわけにはいかん。』と言って、せっかく実を結び始めた運動を壊しにかかる動きがあったのです。この腰砕けに怒りながら『ここは借金してでも作りましょう。』と各戸を回りました。どうなるかと気をもみましたが、生活改良普及員さんと相談して、『農協で共同借り入れしたらどうか。』と知恵をもらい、結束して説得しました。
 一つの目標に向かってみんなが力を合わせて戦う時ほど、充実した生活はないと思います。こんな時、ちょうど小学校で親だけで演奏会をする行事がありましたので、私たちは木琴やタンバリンなど楽器を鳴らして、自分たちを勇気づけました。」