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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(2)産直に生きる

 ア シイタケを売る

 「うちは専業農家ですから、内の子市場へ出荷するものはあったのです。手っ取り早いのがシイタケ。規格外で商品として出したことがないシイタケを袋に入れて、直売所に出しました。今までだったら、千切りにして乾かして、森林組合に一括して納めていました。農協なら農協の規格に合わせて大きさでS・M・Lに分け、品質で秀品・優品・良品に分けて、出荷していたのです。それを、産直だから規格外の大きなシイタケ3つ袋に入れて200円で出しました。
 それで、お客さんが驚いたわけです。お客さんが『こんな大きなシイタケ、見たことない。』って言うのです。そこで私『そりゃあ、お客さん、見たことないですよ。農家ですら規格に合わないから、出す場所がないんですよ。だから、直売所に出してみたんです。私とこでは食べています。大きなのを斜めに切ってね、バターをしいて、裏返しにしてステーキにして食べてみなさいよ。おいしいし、おなかいっぱいになるんだから。3枚でたった200円ですよ。スーパーで買うなら、200円でこんなちっちゃいのしか入ってないよ。フライパンいっぱいになることはないよ。こんな大きなシイタケ、1枚切ったらフライパンいっぱいになって、3枚あるから満足するよ。』と言いました。お客さんは驚かれたし、喜ばれました。相対(あいたい)で話すことで『ああ、これが本当の農業なんだ。』と感動しました。」

 イ 夫との対立を乗り越えて

 「しかし夫は、『売れるといっても自動車で家から直売所まで来て、1,000円や2,000円もうけたと喜んだとて、家の今までの農業はどうするんぞ。**家がつぶれていく。』と、怒り出したのです。しかし私は、自分で金もうけする喜びや、お客さんに喜んでもらう感動を忘れられないのです。どうすればいいのだろうかと悩みました。我が家は8けた農業(年収1,000万円超)を目指していましたから、夫は『計画立ててやりよるんだから、おまえが産直していたら、8けた農業にならない。』と言うのです。
 私は夫に言いました。『私はあんたと結婚して、義父や義母、あんたと一緒に働いたけど、私に仕事の喜びや感動をわかせるようなことは一度もなかった。働け働けで、金だけを追いかけていく農業だった。今、私は、産直で喜びを感じとるんよ。お客さんとの出会いがあり、友達ができ、交流ができることは、私にとって楽しいことなんよ。』と言ったのです。今ここで、しっかりと踏ん張らないと、夫の言うことに負けたら、夫の言いなりについて行ってしまう人生で終わってしまうと思いました。
 言いなりの農業でなくて、もっと楽しい自分がしたい農業をしたい。何とか理解、納得してもらえないだろうか。そこで私は言いました。『目標を立てるから、1年だけ待ってほしい。もし目標に到達できなかったら、あんたの言うように、あんたについて行くしかない。だから1年待ってくれ。』と頼みました。そして、100万円産直でもうけるという目標を立てました。何としても産直で100万円もうけないといけない。100万円もうけたら、夫が認めてくれるかもしれないと思って、死に物狂いでやりました。
 山へ入って、いいシイタケを選びました。ボロのシイタケを選ぶのは時間がかかるし、産直に出しても売れないのです。うちの家では、父ちゃんが先に山へ上がり、私は家事を済ませて1時間ぐらい遅れて山へ行くのです。ですから、その時間差を利用して、シイタケをパックして産直に出してから、山へ行けるよう段取りするのです。しかし、産直に行くと友達とおしゃべりしてしまって、あっという間に時間がたってしまうのです。夫の居る山に遅刻して行ってみると、作業のため雇っている人の前で『行くなというのに、金になるまいが、仕事になるまいが。』と怒られるのです。それでも私は次の日も産直にへ行く。生シイタケがない時は乾燥シイタケを出す。そうやって1年やりました。
 1年たって、夫に『それほど直売所がやりたいんか。』と聞かれたので、私は『やりたい。やらせて。お願い。』と手をついて頼みました。その時、目標は100万円でしたが、その目標をかなり超過していたのです。夫は、『それほどやりたいんなら、種も自分の考えでまけ。産直の出荷物は全部、自分の考えで作れ。畑もやる。そこでもうけた金も全部やる。俺はシイタケを作る。』と言いました。こうして夫はシイタケ栽培、私は直売所型農業経営となったわけです。結局、農業改良普及所が進める家族経営協定(経営主である夫と妻との間で、農作業や家事の役割分担や報酬について話し合ったことを文書化したもの)を結んだのです。その時の約束は『お互いに今までどおり助け合うけど、口出しはしない。』ということです。」

 ウ 内の子市場で鍛えられる

 「それからは本当に楽しかったです。自分で種をまいて、作物を作りました。今まで28年間、義父や夫と一緒にやっているから、やり方が分かるのです。苗づくりをして、キャベツ苗、ハクサイ苗、いろいろな苗を売りました。返品があって売れない分は自家の畑に植えて、できた作物をまた直売所に持ち込むのです。そういう循環にしました。 
 花作りもしました。花は大好きだから、冬に咲く花、夏に咲く花と、園芸の通信販売の本をめくって、何がこの土地に向いているのかと真剣に考えました。切花になる花はどんなものがあるか、選んで植えました。売れなければやめて、次の年には新しい花をいっぱい作りました。
 初めはそれで失敗しました。同じ種類の花をトラックいっぱい運んで持っていって、売り上げはわずか数千円のことがありました。それで気が付きました。直売所では、その花が咲き終わるころには売り終わらないといけないと。これは少量多品目でないといけないと。やってみて分かりました。それに気が付いてから、売り上げが伸びました。」

 エ 内子フレッシュパークからり

 「内の子市場は、今の『からり』から200メートルほど南の国道筋に小さな小屋を建てて営業していました。『からり』は平成8年(1996年)にできました(写真3-3-3参照)。最初の2年は実験、練習という形でやりました。町の広報紙に**が200万円もうけた、という話が載りました。そうすると『えっ、あんな直売所で200万もうけることができるんか。』ということで、多くの女性が会員になりました。それに、内子町が本気で取り組んでくれたので、私たちも乗れたのだと思います。行政が私たちを引っ張ってくれたんです。
 それまでは森林組合へ売っていた夫のシイタケも、大半を直売所で売るようになりました。森林組合へはシイタケを作る材料代分だけは売っていますが、残りは皆『からり』で売るようになりました。夫のシイタケはよく売れます。なぜかというと、私が今まで夫のいいシイタケを選んで売っていましたので、直売所でブランド品になっていたのです。お客さんが選んで買ってくれるのです。
 それから、直売所というのは人を裏切ってはいけない、いい品物でないといけない、ということが分かりました。だから私は価格を急に上げることはしません。ここで14年やっていますが、同じ包装、同じ値段でやっています。それは、あるお客さんから教えられたのです。直売所である品物を買ってよかったので、隣人から同じ品物を買ってきて、と頼まれた。それでまた買いに行ったら値段が上がっていてショックだったと言うのです。そうなのです。ここに来るお客さんは、スーパーに来るお客さんとは違うのです。その時から、200円で売るシイタケは包装も価格も変えないでやってきました。パッと見て『あれが**さんのね。』と安心して買えるように。
 夫から『本当に、直売所とはええもんができたもんじゃ。』と言われた時、『あんた何言うてるの。最初、私にあれほど反対して。私を苦しめて。それはないじゃろ。』と私が言い返したら、『いいじゃないか。お前、話題が一つ増えたじゃないか。』と夫が言うのです。なるほど、直売に反対していた人が、直売所をありがたがっているのですから。損すると思ったら得したのですから、私が産直の講演で話題にしたら話になります。これは不思議なものだと思います。人生とは、場所と出会い、取り組み方によって違うものだと、つくづく思います。」

写真3-3-3 内子フレッシュパークからり

写真3-3-3 内子フレッシュパークからり

喜多郡内子町。平成20年7月撮影