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えひめ、女性の生活誌(平成20年度)

(1)『弓削民俗誌』のできるまで

 ア 民俗誌編さんのきっかけ

 「私は若いころは、町のバス事業や国民宿舎、水道事業など公営企業の経理を長く担当していました。平成5年(1993年)に県の施策で各町村に女性塾を作ることになり、町職員の私が世話役になって、町内各地区から1名ずつ出て15名のメンバーで塾を結成し、それから地域づくりの活動を始めたのです。
 『弓削民俗誌』を発刊するまでは少し目立ちすぎまして、いろいろなイベント、例えば大衆演劇を呼んできたりコンサートをしたりして、派手にやっていたものですから、町内の女性たちから少しやっかむような動きもあったのです。しかし平成10年(1998年)に『弓削民俗誌』を発行してからは、私たちの活動に理解を示す人の輪が広がってきたと思います。
 最初のきっかけは、『方言を残そう。』ということだったのです。ちょうどその場に弓削弁丸出しの女性がいて、『その言葉を残したいよね。』と言ったことがきっかけです。『地名を残したい。』という声もありました。国土調査をして使われることがなくなった小字名を残したかったのです。塩の荘園の時代から続く地名もあるのです。そういうことを話し合っているうちに、民俗誌を作ろうかということになっていきました。それで結局、弓削のくらしを全般にわたって調査して『民俗誌』にまとめようということになりました。」

 イ 聞き取り調査

 「聞き取り調査を地区ごとの集会所で始めたら、お年寄りはとても喜びましたね。家の納屋からモノを持ってくるは。『忘れておったけど、こうだったよ。』と話してくれるは。お年寄りの経験が生かせたのです。家にこもっていたおじいさんやおばあさんが、集会所に出てくるようになり、聞き取りに行くたびにその数が増えてきました。『うちらの話聞いたて。こんな話でええの。』、『あの人も呼んで来たんよ。』、『足が痛いけど連れて行ってやるというんで来たんよ。』。聞き取り調査で、自分の存在感みたいなものをおじいさんやおばあさんは感じたのだと思うのです。お話を伺った皆さんは、本当によく昔のことを覚えていて、生活の知恵の塊のような話がどんどん出てくるのです。
 そして別の機会に『しめ縄づくり』などで、お年寄りを講師に呼ぶと喜んでくれて、『今年は行かんでいいんか。』と言ってくれるようになりました。このようにして、本当にお年寄りと仲良くなれたということが、すごい財産になりました。『野菜はこうして作ったらええんよ。』とか、道端で会っても『ちょっとあげるから。』と家に呼んでくれるのです。こういう人の輪が、後にグリーンツーリズムで東京や大阪の中学校の修学旅行生を受け入れた時に、『協力するけん。』と言ってもらって大いに役立ちました。また、ちょっとしたことで疎遠になっていた人とも、聞き取り調査を通して、興味関心が共通していたことから、元どおり仲良くなれたこともありました。民俗誌編さんを通して、地域のお年寄りと仲良くなれ、今までいろんな関係にあった人たちとも仲良くなれたということ、これがよかったと思います。」

 ウ 地元の女性だけでまとめる

 「当時、童謡作曲家本居長世の伝承活動で弓削によく来られていた元教員の**さん(三重県松阪(まつさか)市在住)が民俗誌編集の経験があって、民俗誌の内容について提案をしてくれたのです。最初、私たちは彼女が原稿を書いてくれるもんだとばかり思っていました。できない所は**さんにしてもらおうと。1年かけて約300人のお年寄りから聞き取り調査をして、2年目になりました。
 ところが、自分たちが原稿を書いて最後まで仕上げなければならないことに、気がついたのです。みんなびっくりしましたが、最後までやり通すことができました。最初から自分たちで書くとわかっていたら、みんなやらなかったでしょう。途中から『えーっ、書かにゃいかんの。』。でも女性塾のメンバーには、詩とか本とかを書くことが好きな人もいたし、短大や大学を卒業した人ばかりなので、基礎力はあるのです。たぶんきっちりやってくれるだろうと思っていました。**さんが書かなかったことで、結果として地元の女性だけで民俗誌を書くことになったのです。
 私は、もし誰かが途中でやめたら、その担当は自分がやらないといけないと覚悟していました。だから、なかなか自分の原稿が書けませんでした。私のほかにも、なかなか原稿を出さない人がいるのです。時間はかかりましたが、平成10年(1998年)に本にすることができました。
 旧小字名地図を作るのには相当苦労しました。小字の境目を地図に入れる作業が大変なのです。一筆一筆全部小字名を調べて目が悪くなったり、介護をしながらの作業なので時間がとりにくかったり、家族の反対もあったりして、担当者が途中でできなくなったのです。それで別の方が引き継いで、やっとの思いで仕上げました。」

 エ 民俗誌とともに

 「あるメンバーは、家庭の事情で離婚しようと思っていたのですが、『私がおらんようになって、この本ができなかったら悪いしなあ、と思って実家に帰れんかった。でもおかげでありがとう。』と言ってました。今は元のさやにおさまって、幸せに暮らしています。
 本ができた時は、『こんなにきれいにできたのか。』と感動しました。でも、出してからしばらくの間、恐ろしくて本を読むことができませんでした。読めたのは、実は5年ぐらいたってからです。出来上がってみたら、人の書いた所は読めるのですが、自分が書いた所は怖くて読めないのです。メンバーに聞くと、みんなそうだと言うのです。
 『弓削民俗誌』の活動を通して、お年寄りから古い道具や写真を頂いたり預かったりしました。そこで、これらを集めて『ふるさと民具展』を開きました。多くの皆さんに見に来ていただき大変好評でした。収集できた民具をせとうち交流館の倉庫に保存していますが、まだ整理ができていません。」