データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛学のすすめ

*複雑な地形と多様性

米地
 米地でございます。岩手から参りました。
 まず、愛媛の印象は、ごく平凡な言い方でございますけれども、暖かいということでございます。ここへは、盛岡でいえば夏と同じ服装で、参りました。と言うのは、盛岡は、昨日の朝は、私の所は盛岡の郊外で、岩手山麓の特に寒いところでございますが、最低気温が大体4度か5度でございます。もう白鳥が参りました。それで私は単身赴任みたいにしているものですから、ベランダの鉢を中に入れてまいりました。霜でやられる可能性があるからでございます。ところが、こっちへ来てからは、汗のかきっぱなしでございまして、さっきから水を飲んでおります。
 朝はもう一つ、先程愛媛学は成り立つかというお話で、実は冷汗をかいたのですけれども、それはちょっと後にしまして、東北は暖かい愛媛に比べて、随分違うところがございます。
 例えば暖かいこちらでは、果物といえばミカンでございます。それに対して東北はリンゴでございます。このミカンとリンゴとは、日本を南北に分けておりますが、これはある意味でライバルでございました。戦後ある時期、ミカンに圧倒されて、リンゴの人気ががた落ちしたことがございます。それは何かと言うと、リンゴにはビタミンCが少ない。ミカンは、テレビを見ながら、皮をむいて食べられる。リンゴはそんなことをやったら、手を切ってしまいますから、それができないわけです。それでアメリカで「TVオレンジ」というぐらい、テレビを見ながらでもむいて食べられるというのが、ミカンの特徴でございます。それでリンゴは、ガタッとショックを受けたわけでございます。ところが東北人というのは頑固でございまして、津軽というのは特に頑固でございますから、頑張って頑張って、高級品種を作り出して、高い値段で売るということをやりました。もちろんこちらのミカンも、随分工夫なさっていると思いますけれども、リンゴのような、大飛躍はなさったかどうか。つまり東北というのは、そういう寒さなど、いろんなハンデを負っていて、頑張って頑張ってやっていかないと生きていけないのです。どうもこちらの愛媛は、頑張らなくても売れるという、幸せな所ではないでしょうか。
 それからもう一つは非常に明るい感じを受けます。こちらの県の宇和島には伊達藩がございます。私は、東北の伊達藩の藩領(岩手の南部と宮城)で、20年暮らしましたけれども、向こうの方は重苦しいんです。伊達政宗という人は、そもそも慎重さと大胆さという二つの面、あるいはきめ細かな所と、思い切った伸び伸びした所とをあわせ持っていた人だそうですけれども、仙台の方は、その前の方を持って、宇和島の方は、どうもその後の方を持って受け継いだのではないかと思うぐらい、こちらは明るいですね。
 ちなみに言えば、伊達順之助でしたか「夕日と拳銃」のさわやかで行動的な主人公ですが、あれは私は仙台の伊達さんの一族だと思って、大変嬉しく読んでいたんですけれども、どうもそうではないらしくて、こちらの宇和島の伊達さんの方の御縁の方のお話のようで。要するに、こちらにはそういった明るさや行動力というのがあります。
 したがって、先程お話がありました、愛媛学は成り立つかというふうな難しい問いにも、きっと愛媛の方なら、難なく答えられるのではないかと思います。
 ちょっと長くなりましたが、もう一言だけ申させてください。愛媛県は海岸線が非常に長くて、こちらではどういうふうに習っておられるか分かりませんが、ちょうど虎が走っているような、そういう形をしているというふうに私どもは習ったものでございます。それは複雑な地形から来ているわけでございます。
 これに比べると、東北の県というのは、大きくて大雑把です。先程あったような、愛媛が一県八藩で、非常に複雑だというお話でしたが、東北についても考えてみますと、私が仲間と一緒に作った山形学の対象である山形県は、さっき慌てて数えてみたんですけれども、少なくとも九つの藩がございましたし、そのほかに天領があって、さらに他藩の分領が二つか三つありました。そういう複雑な所を、エイヤッと山形学としてまとめてしまったほどで、非常に大雑把ともいえるのでございます。
 それから見ると、こちらは地形もきめが細かいのです。そして多分、人々の心のひだと言いますか、そういうものもきめ細かなのではないでしょうか。そういうものを前提にして、多様性、それをむしろ上手に使って生きてこられたのではないか、というような印象を持っております。

讃岐
 ありがとうございました。何かミカンとリンゴというのが、面白いテーマになりそうですね。ミカンというのは、皮が厚くてパッと食べられないが、皮をむくと全部ズッと食べられる。リンゴはかぶりつけますが、しんがあってそこは固くて食べられない。なかなかそこからは、妥協してもらえない。そういう愛媛と東北との精神構造を現わしているような感じもしないことはないですね。
 伴野先生、作家として、あるいは新聞記者として、世界各国や国内中活動していらっしゃって、そういう目でみて、実際愛媛に住んでおられた経験もあるので、愛媛の個性と言いますか、発信源として何があり得るのか。そういう所をお話願ったらと思いますが。