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愛媛学のすすめ

*高齢者の知恵を生かす

常磐井
 30年近くも前のことです。ちょうど小学校に出ておりまして、そこの校長さんが郷土に根ざした教育という目標を立てました。しかし、職員はみなそこの村の人ではないのです。資料もありません。私はいつも高学年を持っていたものですので、まず郷土を知らなければ根ざした教育もできないではないかということで、まず年寄りの家を回りまして、そしていろんなことを子供に話しておりましたら、そこで意外なことに気付いたのでした。
 子供は年寄りの話などは全然聞かないだろうとたかをくくっておりましたら、子供が目を輝かせまして、「先生、そんな話を毎日して」と言うのです。毎日すると言っても、「まだ教科書を教えなければいけないことはこんなに残っているんだよ」と言いましたら、そしたらどうしたらいいかと言いまして、学級会で話し合いをしまして、「みんなは先生から昔の話を聞かせてもらうのに、時間を見い出さないといけないが、どうしたらいいと思うか」というようなことを、子供たちが熱心に話し合いました。そして結局、「入るベルが鳴っているのに、それからお便所に行ったりしている人がいます。あれはいけないと思います」というようなことで、そうすると、休憩時間すぐに便所に行っておいて、カンといったらすぐ、みんな一斉に入ろうじゃないか。だから学校中で一番きちんと入って、私が行った時には、早くもみんなすまして席についているわけです。そして活気のある授業が始まる。こちらは3分なり5分なり残して切り上げて、伝説や、地名や風習のいわれなどを話す。むしろ授業より目を輝かして集中して聞いてくれました。それがずっと続きまして、子供たちがとっても郷土が好きになりました。
 私がその村のことを書くきっかけは、その子供の輝いた目。子供というものは、年寄りの話は聞かないものと思っていたら、聞かないどころではない。それが聞きたくて聞きたくてたまらない。だけれども、戦後育ちのお母さんは、それを自分も聞いていないし、時代が違うから、おばあちゃんやおじいちゃんも、同じで昔の話をしたって、孫が聞いてくれないとたかをくくっていた。そこらに、誤差があったのだと思います。孫たちも非常に昔話が好きだということが証明されたわけです。
 それで、今のどこから切り込んで行くかというのは、やはり私は年寄りを対象にしていくのが、風俗とか行事とかいうのには、収穫が多いように思います。古い地名や道端の祠(ほこら)の由来など、収穫が多かったです。それともう一つは、缶のポイ捨てなどを幾らでもしますけれども、この時に「見てござる」という話を年寄りから聞いたのでしました。どこにでも神様が住んでいるんだ。草を刈る時にも、誰もそこにいなくても「草刈らしてやりなはいや。」と言って刈るんだ。その「見てござる」、神仏がどこかで見てござる。こういうような大地に対する畏(おそ)れみたいなものを知ったら、自動車から空き缶を投げ捨てたりすることはないと思うのですが。
 犬や猫は、空き缶を家に持ち帰ることはできない。それなら犬や猫と人間はどこが違うんだろうか。やはり人間は人間らしくないといけない。さっきからいろいろな「らしさ」がでましたが、私はまず「人間らしく」生きること、人間であることの意義を自覚することを、郷土研究は教えてくれることも痛感いたしました。
 子供たちがお年寄りから聞いてきて、資料提供に一役かってくれたこともありました。お年寄りや近所の人と、誰かれなく話し掛けますと、疎外されてきた年寄りは、活気づきます。自分の意志を伝える安心感を得ます。何となく過ごしていたのに、自分の座り場所があるんだ。それを再確認することができ、家族も物知りじいちゃん、ばあちゃんを確認するという具合で、非常にみんなが喜びます。別に象牙の塔ではありませんので、単なる知恵でございますけれども、それを教わっていく。そうすると毎日少しずつ利口になる。これは先程のお話にも出ましたけれども。知る喜び。学ぶはまねるからきたので、人からそれをまねして、そして自分のものにしていくのが学ぶということ。だからまことに素朴な話なんですけれども、そういう所から切り込んでいくのが、意外と効果があるように思います。
 村には、8人の子を産婆も呼ばず自分で産んで、産後の処理もした人がほとんどでした。このような話は、女性の聞き取りがいいと思いました。大正10年くらいまでは座産でした。
 それともう一つは自然です。今の年寄りに、何か面白かったかと言うと、「昔はフリチンで泳いだけれどな。今の者はプールでも監視がいるんだから、難儀な世の中よな」と言いますが、戦前までは小学校1年になったら、もう肱川を横切って泳がない者はないぐらいに、先輩がちゃんと指導した。そういう子供同士の縦糸。そういうものもぼつぼつと昔を見習って、やったらいいのではないかなと。そんな感じがいたします。

讃岐
 採集の重要性みたいなことを中心にしてお話をいただいたのですけれども。
 伴野先生は、歴史小説、あるいは推理小説等をお書きになる場合に、どういう取材と言ったらいいのでしょうか、調査のやり方をなさっているのか。その辺のノウハウみたいなことをお聞かせ願ったらと思います。