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愛媛学のすすめ

2 「山形学」の特色と狙い

 「山形学」創造企画会議は、討議のなかで、「山形学」とはいかなる意義を持つものと考えたのであろうか。
 もちろん「山形学」は当面の形態としては山形県の生涯教育の一環として位置づくものではあるが、「山形学」そのものは、それを超えた、より大きな意義を有する存在となるべきであると考えられる。即ち山形に関する地域研究としての意義と山形に住む人々あるいは関わりのある人々にとって、自らのアイデンティティの確立や地域づくりへのモチベーションとしての意義をも持つものである。
 したがって「山形学」は、基本的性格として次のような二面的性格をあわせ持つことになる。

 ①科学あるいは学問としての「山形学」

 ②運動あるいは活動としての「山形学」

 この「山形学」の二つの側面のうち、科学としての「山形学」は、山形県地域を対象とするいろいろな既存の学問の分野における成果をもとに、それらを地域研究として総合化し、より深めてゆこうとするもので、いわゆる学際的な科学である。これは研究対象が山形県地域であるから、この地域に関心のある県内外の研究者等が広く参加するものと考えられた。
 もう一つの面は運動としての「山形学」で、山形県に住む人々を主たる対象とし、山形県地域について学ぶことを通じて自らのアイデンティティーを確かめ、さらには地域の未来像を描き、実現させてゆくための土台となり、推進力となるものとしたい。すなわち、地域住民の一人一人の自己実現への努力を支え、後押ししようとするものである。
 これらの両面は、1本の樹に例えることができる。根の1本々々が既成の科学などの各分野にあたる。地理学、歴史学、民俗学、地学、生物学…など自然・人文・社会の各分野をはじめ、芸術や産業をも含む広い分野がそれぞれの根に該当する。その各分野から養分を吸い上げる幹に当たるのが、「山形学」講座や「山形学」研究誌の形で生み出される学際的なものになる。さらにその幹から枝が伸びる。細い枝の先が「山形学」学習者一人一人である。その枝につく葉は太陽の光を受けて光合成をし、糖分などを作る。すなわち「山形学」学習者もまた「山形学」の創り手である。地下の部分は「科学としての『山形学』」であり、地上部分が「運動としての『山形学』」である。
 まず、科学としての「山形学」とは以下のような諸点を持つと考える。
 核となるものは地域研究(地理学を核とし、地域にかかわる多くの分野の統合・協力により地域を解明する研究)であるが、単に記述的・羅列的な百科事典的・博物誌的なものではなく、有機的な統一性・体系を持つ)でありたい。
 次に、自然環境、歴史的背景、社会・経済・文化の特性などを多角的に解明する学際的・総合的なものとして各分野の研究者の研究参加・協力を得てゆきたい。
 第3には、山形県地域をその研究対象とするが、科学的・客観的に対象を把握する、比較地域学というべきものにしたい。即ち、一般的共通性と個別的独自性とを、ともに分析・解明し、地域性を明らかにしてゆきたい。
 さらに運動としての「山形学」の側面の目標は下記のように設定された。
 第1段階の目標としては、「地域を知る」ことである。即ち「山形学」は啓蒙的役割を果たし、県民や県出身者などの人々に山形についての多面的で的確な知識を与えるのである。
 第2段階の目標は「地域を認める」ことであり、「山形学」学習を通じて、山形人としてのアイデンティティの確立を促すことである。
 第3段階の目標には、「地域を創る」ものとなることである。即ち「山形学」学習への主体的参加により培われた資質・能力・知識などを地域活性化・地域づくりに役だててゆくことが挙げられる。
 このような目標を達成するための「山形学」のコンセプトを構築してゆく際に、つぎのような点に特に留意した。

(1)科学性、客観性

 これまでの〝地方学〟ないしは〝郷土学〟の考え方の一つは、いわば小日本学的考え方というべきもので、郷土愛→国(日本)への愛→人類愛へと広がることを目的とするものであった。
 他方の考え方は反日本学ないしは反中央的考え方というべきもので、中央の権力支配に抵抗する被征服・被支配者の立場に依拠するものが多く、東京中心の日本文化論に対するカウンター・カルチュアの学とすることを目的とする立場であった。
 「山形学」は上記の二つの考え方のいずれをも採らないものとした。
 すなわち山形県地域を科学的・客観的な研究対象とする学である。その「山形学」の研究・学習を通じて学習者一人一人が自らのアイデンティティを確立してゆくことを期待しており、個々の研究者や学習者の自由が保証されなければならない。決して特定の政策や主義主張あるいは思想をもって統一的・主導的な役割を演じさせてはならないと考える。
 国家としての日本との関係も、これに従属するものでもなければ、これと対立するものでもない。「山形学」は、〝自由〟で〝独立〟したものであると考えた。
 さらに、具体的には、お国自慢的・土俗的なものに偏しないこと、なども重要になってくる。
 人々が山形に誇りをもつことは、この「山形学」の目的の一つではあるが、それを急ぐあまり、お国自慢に類するもののみを取り上げたり、主観的な愛郷心の押し付けをしたりしてはならない。また風土にねざした民俗などは「山形学」の重要な研究の対象であり、学習の素材としても興味深い。しかし、それのみを「山形学」とするものでないのは当然であり、広がりのある、偏らない「山形学」としてゆきたいと考えた。
 科学的に山形をとらえるということは、山形の優れた所、良い所のみを見ることにはならない。もちろん山形の好い面をみ、誇りをもつことは大事ではあるが、人は郷土に対して心理学でいうアンビバレンス(すなわち両面価値とか愛憎共存と訳されるもので、あるものに対し、矛盾する両極の感情)を持つことの方が普通である。例えばテレビの人気番組「おしん」に、山形県人は、郷土の風物の美しさや、けなげな少女への共感と、貧しい生活の描写への反発とをともに抱いたのである。「山形学」はこの両方の面をともに見据える立場を取りたいと考えている。

(2)多様性、多義性

 「山形学」の研究対象は多岐にわたり、受講者の属性やニーズも多様性に富むものとなるであろう。したがって、「山形学」の研究対象・内容に対する評価は、研究者や学習者によって異なるものとなっても不自然ではなく、むしろ多義性をもつものと考えてよい。
 講義等の場面では、あくまでも研究者や学習者の主体性が重視され、実際の学習の場においても学習者にイニシアティブをとらせるようなセミナーや実習も組み込むこととした。
 さらに、県内の各地域の個別比にも目を向けるものとした。山形県の特徴の一つは、庄内、最上、村山、置賜の4地域よりなり、自然的条件も歴史的背景も異なり、それぞれ独特の地域性・地域文化を持つことである。この多様性を前提に「山形学」が作られるのであり、決して短絡的に「山形は一つ」というようなまとめかたをしてはならず、互いの相違を認め合う多様性をもつものとしたいと考えた。

(3)未来志向

 地域の安全性・快適性(アメニティ)を高めるとともにその発展に資するダイナミックな活動を希求した。ともすれば、この種の地域学はその歴史・伝統など過去の事物の保全や復元に力点がおかれ、静的な回顧的なものになりがちであるが、未来につながる動的なものとしての面ももつものを構想した。

(4)面白さ

 学習者の知的好奇心を刺激するような「山形学」にしようと考えた。
 もちろん、身近な事柄に対して関心を持つ人々が近年増えつつある。郷土や自分の住む土地に対する認識を得ようと思う人々に、単なる知識のみを提供し、物知りを作ることが「山形学」の目的ではないはずである。創造的な営為としての地域学、知的発見の面白さを導く地域学としての「山形学」を創りたい。
 山形にはまだ解けない謎も多く、研究者の学際的共同研究ばかりでなく、学習者のグループによる調査や研究による、それらの解明も期待される。「山形学」は自発的な研究意欲をそそるものにしたいと考えた。
 総じていえば、開放的で、しかも個性豊かな、かつ自由で多様性に富む知的空間としての山形県を創ることが、「山形学」の究極の狙いなのである。