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宇和海と生活文化(平成4年度)

(2)風波に耐えて

 佐田岬半島の風は強い。遮るもののない豊予海峡に向かって細長く伸びているから当然のことではあるが、特に冬の西風・北西風と夏の南から吹く突風が強い。
 **さん(三崎町串 昭和7年生まれ)は実体験として次の記事を提供してくれた。
 ① 内陸部と異なり海岸部は冬季北又は北西の風が強いが積雪は少ない。子供心に雪はしんしんと降るのではなく、横なぐり
  に吹雪くものと思っていた。
 ② 北西又は南の強い風でグランドの小石が飛び足に当たる(*21)。生徒たちはうさぎのようにぴょんぴょん跳んで避け
  る(生活の知恵)。
 ③ 昭和20年代から30年代の始めごろは台風が頻繁に襲来、海岸近くに住んでいたので強風と高潮の恐怖を味わう。
 ④ 沿岸航路は風による欠航が多い。車がなく海上交通のみに依存する半島はまさに陸の孤島であった。
 長い教員生活を定年退職された**さんは、この地域に引き継がれた生活のもろもろの文化を、今のうちに記録し保存しておこうと努力している。時間の都合をつけて案内役をかってでられたり、聞き取りに立ち合ってくれたりの協力は大変有り難かった。

 ア 串の家と通路

 急斜面で風当たりが強い串の家は一般に屋根が低い。藩政時代から庄屋以外は建坪15坪しか許されなかった家屋の大きさも風に強い。3尺幅くらいの道路が網の目のように民家をつないでいるが、坂道はすべて青石かセメントで固められ土砂が流れる心配はない(写真1-1-19参照)。
 かつてこの地域からも漁師以外に大工の出稼ぎが多かったが、どうやら地元の人たちは建築土木に長じた職人と仕事をするうちに技術を身につけたようだ。

 イ 防風林と石垣

 日本一の夏柑産地である佐田岬半島の南斜面はいうに及ばず北斜面でも日照のよい谷底には果樹園が造成されており、杉の防風林が目立つ。丹念に石積みされた段々畑の石垣と防風林はこの半島を代表する風景でもある。
 串の山の手から下って佐田岬漁港へ向かう途中には門構えの石垣塀がある。明らかに防風壁とわかるが、風の強い時には海水を吹き上げるから防潮壁も兼ねるのであろう。
 石垣の圧巻は漁港の岸壁である(写真1-1-20参照)。歩いて100mの長さとした。高さは4m、厚さは基部で1m20cmほどある。すっぽり家が収まってしまう石垣塀の内側に日だまりを見つけて、バフンウニを割っている3人に声をかけると「うん、そのくらいあるじゃろな」、「造ったのは誰かは知らんぜ、古い話じゃけんな」という。
 この辺りの地層には上部緑色片岩も下部緑色片岩もあるから石垣の材石は青石が主体になる。しかしどれほどの時間と人数で築いたものであろうかと驚嘆する。
 西海町誌(⑫)に「石垣の里」として西海町外泊の集落が紹介されている。産業観光課の**さん(西海町外泊 昭和26年生まれ)に案内していただき、有名な石垣を撮ることができた。「NHKも南海(放送)もみな写真撮りに来ましてなぁ、NHKのタオルもらいましたでえ」と食堂の奥さんがいうように、随分人慣れしていてカメラの位置も教えてくれる。**さんは心得たもので、山の中腹まで一気に案内してくれ「ここがいいですよ」と指示してくれた。「石垣荘にいい写真があったから」と足を伸ばし、女将の**さん(西海町外泊 大正15年生まれ)にお逢いした。大変活発な方である。
 「どーんとお金を出さにや石垣の村も荒れてしまいますわい。区長さんにもよういうんですがなあ」といわれる石垣の里はこの20年余りで随分変わったことがわかる。特に民家の周辺部の段々畑の石垣は見えないほどに草木で覆われている。

 「石垣は人の誠の積み重ね     吉田トヨカ」

の小さな碑文は、先祖がこの地に移住してからの歴史を語りかけるようだ。かつてとう留したドイツ人が北の窓からスケッチした絵が部屋に飾られている。西海町が誇る造礁サンゴの海のお花畑、透明度の高い青い海、美しいリアス式海岸とともに石垣の里の芸術は先人たちの遺した文化として後世に引き継がねばならない。
 **さんの生家「まるよし」のすぐ前に小さいお堂があって、きれいに掃き清められ道行く人の心を洗ってくれる。信仰心の厚い土地柄を感じながら歩くとすぐ近くに石垣にはめ込まれた屋敷神(写真1-1-22参照)があった。小型の御神酒徳利(おみきどっくり)が供えられている。一族の本家にのみ祭られる屋敷神さまの前に立つと、荒々しく生きたこの地の漁師たちの静かな祈りが聞こえるような気がする。自然とともに生き、自然の恵みに頼って生きてきた人びとは、ひたすら神に祈るしかなかったのである。
 頭を上げるとすぐ上に石垣の上縁がくぼんでその家の窓が見える。湾を見下ろす北向きの「海賊窓」(口絵参照)である。男はここからその日の天気を見て漁に出かけ、女はこの窓から夫の帰りを待ったのであろう。
 佐田岬の豪快な石垣と外泊の繊細な石垣は、風波に耐えて生きる人びとの象徴である。


*21 串小学校は部落の一番高いところを走る県道の横にあり、風にふきさらされている。

写真1-1-19 串の民家と石の通路

写真1-1-19 串の民家と石の通路

平成4年9月撮影

写真1-1-20 スケールの大きい佐田岬漁港の石垣

写真1-1-20 スケールの大きい佐田岬漁港の石垣

平成4年7月撮影

写真1-1-22 屋敷神

写真1-1-22 屋敷神

平成4年10月撮影