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宇和海と生活文化(平成4年度)

1 海にはためく大漁旗

 **さん(八幡浜市浜之町 昭和22年生まれ 45歳)染物業経営

(1)170年の伝統を受け継いで

 「わたしどもでは、のぼり(武者のぼり、神社のぼり)、旗(大漁旗、校旗)、祭礼衣装(はんてん、五鹿(いつしか)や唐獅子の着物・油単(ゆたん))等を主に製作しています。創業は文政5年(1822年)ですから170年近く続いてまして、わたしで5代目です。戦前までは旗屋も6軒ほどあったそうですが、今はわたしも含め市内では2軒となりました。この浜之町(はまのちょう)や本町は八幡浜でも最初に栄えた所で、わたしの店舗も150年を経てますが、戦中の(空襲による類焼防止のための)取り壊しまでは、周囲は本当に旧家ばかりだったらしいです(写真4-2-1参照)。
 わたしも高校を卒業したら、一度は都会へ出てみたかったのですが、母のたっての願いもあり、百数十年続いた家業を自分の代でつぶすわけにもいかないという気持ちもあって、こちらに残ったんです。上の2人の兄は外にでており、残った男はわたしと弟でしたが、この仕事は根をつめないとできない、地道な作業の繰り返しですので、性格的にわたしが一番向いていたみたいです。
 小学生の頃から父の手伝いをして、旗の天日干(てんぴぼ)しや水洗い、簡単な色付け等はして、また習字だけは小さい頃から習いに行っていました。18歳で本格的に仕事をするようになってからも、見て習えの式で、やはり年数による慣れが一番肝心なようです。下絵が一番大事で難しいのですが、父が元気な間はやはり甘えがあって下絵はせず、わたしは型通りに糊置(のりお)きや染めの仕事をするだけでした。しばらくして、父が倒れてからが本当に大変で、仕事に本当に取り組みだしたのは、それからですね。
 大漁旗等は大体全国似通ったものですが、各店によってそれぞれ個性があって、お客さんからみれば『これは**の旗だ』というのは、わかるらしいです。特に字形や色合いの出し方に、それぞれの店の特色や技術が出てきます。先代・先々代の下絵等は今でも残していますが、それを受け継ぎながらも、やはりわたし自身の型が段々出てきまして、若い頃作った物を見ると、こんなものを作っておったのかと冷汗がでることもあり、若い時と今とでは、味の出し方が違ってきています。とにかく死ぬまで腕みがきだということで努力していますが、なかなか満足できるものは作れません。」

(2)旗作り職人としての技術と生活

 ア 旗作りの工程

   ① 布地の裁断 (綿布を九州・大阪の問屋から仕入れる。さらしすぎるともろくなるため、粘りのある天笠地(てんじ
           くぢ)でなければいけない。)
   ② 下絵出し
      *桐炭でデザイン・文字の下書き
              ↓
      *下絵紅
        ・コラリン液(=染料の一種)で本書き(各種染料は京都の専門業者から仕入れ)
              ↓
      *糊置き(防染糊)
        ・紅書きをしたところに糊(もち米の粉を練り上げたもの)をつける。
        ・米ぬかをかけ、糊部分に付着させる。
        ・裏水(布地の裏に水引きをする)
              ↓(天日乾燥)
   ③ 染め付け(はけで染料を塗っていく)
      *下引き染め(下地として最初の色を塗る)
              ↓
      *おがかけ(おがくずをかけ、余分な水分を取る)
              ↓
      *上引き染め(下地の上に重ね塗りし、絵柄を完成する)
              ↓(天日乾燥)
      *仕上げ染め(背景の色を塗る)
              ↓(天日乾燥)
      *色止め(染料の固着)
              ↓
   ④ 水元(みずもと)(糊が溶けるまで半日ほど水に付け、水洗いする)
              ↓(天日乾燥)
   ⑤ 縫製・仕立て(ミシンがけをした後、ひもつけ、アイロンがけをする)

 イ 仕事と生活

 「お天気の日が続いてくれれば、1本の旗を仕上げるまで4~5日かかります。大体5~6本を同時に作っていくわけですが、とにかく、わたしどもの仕事はお天気商売で、雨が続くと『あがり』(乾燥)が悪く、梅雨の暑い時にストーブをたくようなこともします。天気と水(水洗い)さえあればいいのですが、南予用水が完成するまで断水が多かった時も、直後に汚い水が出て来るので気をつけなければなりませんでした。晴天続きですと仕事に追われてしんどいこともありますが、雨続きで納期に間に合わないイライラよりはましです。
 進水式等に合わせて納期が決まった仕事が一度に来ることが多いので、病気を押してでも間に合わせねばならず、それが一番辛いです。時期的には5月の節句までの2か月間、また秋祭りまでの2か月間が最も忙しく、平成2年頃まではトロールの代替船建造の時期で、進水式もやはり春夏が多く、大変忙しい思いをしました。ですから、花見に行ったことはありませんし、自分が作ったのぼり(武者のぼりや神社のぼり)等、外に出て見たことがないです。冬が比較的暇でしょうか。
 仕事の注文は、決まったお得意さんが中心ですが、外国人の方や県外の方が、記念に何か作ってくれという思いがけないものも、年に何度かあります。デザイン等は、お客さんがこちらに一任してもらうことがほとんどですが、電話で注文を受けるのは、いくら念を押したつもりでも、字の間違い等がありますので、嫌ですね。大漁旗の絵柄は、鯛えびすさん、宝船、こづち、だるま等が、昔から多いようですが、最近は龍や虎を描いてくれという注文もあり、その際には新しくデザイン起こしをします。字や色合いは、とにかく遠くから見て目立つことが必要で、特に字は力強さが要求され、色は赤・青・紫等をよく使います。ただ、トロール船等の会社組織では、赤字になるということで赤を嫌うこともあり、その際にはちょっと色合わせに苦労します。また、トロール船は絵柄を入れず、船名だけの物が多いです。これは2隻が1組になっているので、大漁旗の数が多くいるのと、遠くから船名がわかりやすいようにということだろうと思います。
 大漁旗は1本が1万円から5万円くらいです。昔は、船首・船尾に一対たてる立てのぼりも多かったのですが、これは進水式かぎりのものであるため、最近はマスト等につるす普通の大漁旗が、進水式においても中心になっています。わたしどもの製品は、関係者がご祝儀として船主に寄贈する物が多く、ぜいたく品ですから、不景気の時にはやはり注文が減ります。ただ、ある程度の需要は好不況に関係なくありますから、商売が長く続いているのでしょう。」

(3)宇和海の生活文化とのぼり旗

 「大漁旗の注文は、進水式等に間に合うように何日までに『フライキ(フラフとも言う、旗のこと)を切ってくれ(作ってくれ)』と注文されます。小船等では式の前日あたりに、船主の家で寄贈された旗をずらりと並べて酒盛りをし、だれがこの旗を贈ったなどと、にぎやかな話になることが多いようで、その時のためにもできるだけいいものをと、贈る側としてはお気に入りの店を選んで旗を作らせるということのようです。進水の時に旗が少ないとこれほど寂しいものはないし、旗が何本きたかというので船主の意気込みも違うと、よく母が言っております。品物を取りに来られる日は、やはり日を選んで大安か、トロール船では(2艘(そう)曳きなので)友引が多いです。大漁の時に、『出(だ)し旗(ばた)』として入港の際につるすのはもちろん、正月やお祭りにも船を飾っています。
 祭や節句ののぼり・着物等は、西宇和郡一帯や大洲市、東宇和郡の宇和町・野村町・城川町からの注文が多いです。5月の節句では、八幡浜市や半島の町村では、跡取りのいる家は武者のぼりを立てる風習がずっとあったのですが、八幡浜では都会の影響もあって今は鯉のぼりが中心です。武者のぼりは家紋を入れるので、先代からのお得意が続いています。唐獅子のゆたんや五鹿(宇和の鹿踊り)の着物等は、集落ごとに全部模様が違い、特別にあつらえることになります。祭のはんてん等も、以前は既成品がほとんどだったのですが、最近は別注が多くなり、集落・地域ごとの特色を打ち出そうとするようになってきています。わたしらにとっては、ありがたいことですが。
 神社の辻のぼりは、集落の入口に立てることが多いのですが、それぞれいわれがあって、昔の有名な書家が書いておられます。おおむね上の句と下の句で一対になっていて、左右の立てる位置も決まっており、その集落のいわれや幸いを祈願する文句です。しかし、最近は総代さん等の役職も交替に務めることが多く、そのようなこともわからなくなってきており、台風で破れたのぼりの一部分や片一方だけ持ってこられて、『適当に見つくろって直してや』と言われることもよくあります。ただ昔の人々の気持ちを大切にしたいという思いがあって、文面も学識者に聞いて調べ、元の書体もできるだけそのまま残すようにしています。将来、そのようなことがわからなくなってしまっては残念だと思い、また先代の(父の)のぼりを今わたしが修復することが多いので、次に息子が修復する時のためにと、神社のぼりの文面や書体を全部記録として残しています。
 喜びというと、自分がデザインして染め上がったときにある程度いいなあと思えるものができ、お客さんに『あれよかった』『待ったかいがあった』と言ってもらった時が、一番うれしいですね。中学生の息子が跡を継いでくれると言っていますので、仕事に誇りを持って受け継ぐことができるように、これからも腕を磨いていきたいと思っています。」

写真4-2-1 若松旗店と浜之町の通り

写真4-2-1 若松旗店と浜之町の通り

平成4年9月撮影