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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

6 一人一人の住民が、生涯続けて地域の文化を支える

佐藤
 学生の生の声というのが、観察の視点によってああも違うんかということ、それから、地元の人間はよその人がどんな目で見ているんかで、非常に興味があるところだろうと思います。今のは、昨年のけんかをはじめとする新居浜太鼓台を第三者が見たときの、本当の見方をよく示しています。観察しているということ、先程も、祭りへの多様な参加というのがありました。個人個人が、自分の祭りを観察していく、そういったことも、愛媛学の一つとしては、非常に重要じゃないかとも思います。

松本
 もう、時間がまいりましたので、一つだけ、次のワークショップに至る前に申し述べさせていただきたいと思います。私は、愛媛学というようなことを言葉として聞きまして、その意味するものを私なりにどう考えたらいいんだろうかと思いました。はじめに愛媛学の趣旨は述べられましたけれども、それはそれとして、私自身が愛媛学というものをどのように受け取ったらいいんだろうか、あるいは私だけじゃなくって、一人一人が愛媛学をどのように受け取ったらいいんだろうか。ま、愛媛学は言葉を変えますと、私は地方の学というように思います。
 で、今まで、地方の学が叫ばれたのはいくつかあります。一つは、明治の終わりから大正期、つまり日本の社会と文化が大きく変わって行く時期、日本が大きく今まで持っていた社会の仕組みと、今まで持っていた文化を大きく変えて行くときに地方の衰退が叫ばれました。そのときに地方のことばが出ました。
 二つ目の時期は、高度成長期に日本の各地方の若者たちがこぞって、東京、あるいは大阪、その周辺に集中的に移住してきました。そして、そのかつての社会と文化を担ったその若者たちがいなくなって、地方が持っていた文化的な遺産ないしは資源が大きく崩れてくる、そういう危機感もあった時期です。
 今、再び地方が問われてくる。それは、今までの大量生産と大量消費、つまり豊かな社会をいっぺん見せた中に、地方の持つ意味が再び評価され、問われていかなければならない、こういうことだろうと思うんです。日本全体の中で、その地域を考えなければならないけれども、地域に住んでいる人は、一人一人自分の生活を営み、そして生涯発達し続けていく。そのことで自分がなしうることは何なのか、自分が生涯続けてなしうることは何なのか、そのことが地域の社会と文化を支えていくということを愛媛学は言おうとしたのではないだろうか、そんなような理解をいたします。そんなことで、前半のお話を後半のより濃密なお話にバトンタッチしたいと思います。
 皆様、長時間の御清聴、どうもありがとうございました。