データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

2 桜井漆器と交通機関について

 昔は全て椀船に頼っていた。大正時代に海から汽車へ、そして今は車の時代。漆器もその時代、時代に大きな変革をしている。
 昔、桜井漆器は、椀船屋さんと製造家に分かれていた。椀船屋さんは、必ず桜井に帰ってきて、仕入れも支払いもしてくれる。だから、桜井漆器の製造家は、待っていたらよかったので、出て行く営業はしてこなかった。それが、汽車、車の時代になると、「椀船屋さん」は桜井に戻らないで向こうに永住するとか、長期間(半年くらい)九州に行っているという販売方法に変わり、一方、陸地の交通機関が発達するにつれて、桜井が集合させた輪島、越前、山中といった産地の人が、今度は営業活動を始めた。こういう交通機関の発達も、現在の桜井漆器衰退の一因ではないか。