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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

2 山形学の歩みと愛媛学・大洲学ことはじめ

芳我
 それでは、ただいまから、このような生活風土のうえにのっかって山形学がどのように歩んできたか、そしてよちよち歩きの愛媛学や大洲学が、今後どのような事始めをしていったら良いのかということに、入ってまいりたいと思います。ところで、山形学の歩みですが、地域学としなくても地理学や歴史学で十分ではないかという考え方もあります。地域を扱うのは何も地域学にきまったわけではないのではないか、地理学の目標にも「地域性」というのがある。世界中を細かく分類して、例えば農業形態でも10か20に分類してみせたり、そのままで地域分類の学問だとさえ言われている。それなのに、なぜそこに山形学という、これまでと違った形で、また違ったものとして始められたのか、そこら辺のお話をしていただけませんか。

米地
 地域学あるいはその土地の名前をつけて愛媛学であるとか大洲学であるとか、外国の場合にも東南アジア学といったようなものもいわれたりしておりますが、そういう地域学というものを、別になぜ作らなきゃらんのかというところがございますが、今のこの段階では、私ども研究をしてる者の立場からの意見としてお聞き下さい。
 今の研究者というのはみんな狭いところの研究をやっております。専門家となればなるほど、ごく狭い研究しかしておりません。ところが、世の中で起こっていることは、それぞれの狭い専門の人が、その分野についてだけものを言っている、あるいは調べている事だけをつなぎ合わせても、全体像が出てこないということがありますね。それは例えば環境問題というのは、生物学の人や法律学の人が、ばらばらに問題をやっていても全体的なところはわからない。そうすると、今までそれぞれの分野別の人が一生懸命やってきたものをむしろ横につなぐ、これを学際的と言います。変な名前ですが、国際的という言葉がありますね、それに類しての言葉です。学際的に、つまり学問的な垣根をとりはらって、横につなぐというふうな形で新しい学問を作ろうじゃないかという動きが、いろんな面であるのです。その代表的なものの一つが、この地域学であります。
 いろんな分野の人たちがかかわる、これがまず第一だと思います。それに、実は住民の参加といったような問題があるのですけれども。とりあえず一つ申したいのは、今までの地理学・何々学といった学問の枠を超えた新しいものだということです。ですから私も地域学に関心を持ったのは、つい最近の事なんですね。地理学としては芳我先生のお話のようにずっと研究もされておる。それを、こう地域学というふうに横に広げたもので見る場合には、これは私どもも駆け出しでございます。皆さんとスタートラインがほとんど同じです。今こうやって皆さんが地域学のお話を聞くということは、実は地域学の研究の、いわば一番最初の所から、皆さんが関わって参加していると言っていいくらいです。

芳我
 住民の参加を含め、今までの学問の枠を離れたものというところが、印象的でした。ですけれども最後までお話を聞きまして、ちょっと何かやっぱり核になるようなものがいるんではないか、という気はしたんですけれども。

米地
 私の場合、どう考えたかと言いますと、学問と学問とを横につなぐといっても、つなげるいわば接着剤、あるいは核となれば、なおいいんですけれども、そういうものが必要だと思います。それは何かと言うと、我田引水で申し訳ございませんけれども、私も芳我先生も地理学をやっておる、地理学こそは地域学の原形のようなものを一生懸命やってきた分野だから、そういうところが中心になるべきではないかと思っておりますし、今まで私が組織してきた山形学の場合にも、地理学をやってきた人たちが中心になって、それに歴史の方なんかも入ってやってまいりました。
 ただ、○○学と言っても、中には歴史関係、郷土史関係の方が中心となってやっている地域学もございます。例えば、江戸東京学の延長として、先般立派な博物館ができましたですね。あれのもとになっているのは、やはり江戸東京学という地域学でございます。これは歴史関係の人が中心になっております。ついでのことに申せば、江戸東京学というのも、これは中央学ではなくて地域学です。いってみれば地方学です。これも県の人に文句を言ったんですが、皆さんのお手元の資料に、中央講師として私の名前が付いておるのならば、それはけしからんことでございまして、私は決して中央ではございません。住んでいるところも盛岡でございます。これは地方講師でございます。「地域学は地方から」で、東京の人が東京という地方を学ぶのは江戸東京学。その江戸東京学をやるかぎり、東京は中央ではなく地方です。今の総理大臣も「鄙(ひな)の時代」という言葉を広めた人でございますけれども、その細川さんの話ではありませんが、要するに地方学=自分たちの土地の学問を自分たちで作り上げるというのが、地域学だと思うのです。
 接着剤になるのは地理学で、これが地域学の一つの柱になると思います。ただし、それは皆さん御存じのような暗記物の地理ではございません。地名を暗記するとか何とかいうのではなくて、見る目でございますね。例えば、先程の芳我先生のお話しにありました川石の礫層(洪積礫)というのが出てまいりました。280m高いところに、川の跡を示す砂利がある。ところが皆さんが、「そうか高いところに砂利があるか」と聞くだけでは、物知りになるだけです。実はそうではなくて、例えば芋炊きをする時、肱川の砂利は白くて固いですね。一つ一つ粒がはっきりしておる。つるつるしております。それに対して山の上にある山砂利は、赤茶色に汚れていて、たたけばぼろぼろっと崩れるような腐った砂利です。そういう違いを自分の目で見たり、自分の体験で知って、「ああ、ああいうのが山砂利だな。」と思い出す、そういう体験を動員していただくもので、暗記物ではありません。このような自分たちの体験・経験に基づいた地理学、これが柱になるんじゃないかと私は思っております。

芳我
 暗記物ではなく、体験に基づく生きた地理学を中心にするというお話、よく理解できました。せっかくおいでになりましたので、ここで実際の最上川に関する多様な取り組みのお話をうかがいたいのですが。

米地
 今の話から延長して申しますと、山形県では、最上川が一つの地域の柱になっております。私どもは、「母なる川最上川」と申しますけれども、皆さんにとってもたぶん「母なる川肱川」であろうと思うんです。最上川の場合に、地理の先生が中心となったというだけではなく、例えばこれは「母なる川最上川」という講座のテキストにどれだけの分野の人たちがかかわったかと言いますと、最初に最上川はどんな特徴だろうというのは、私、地理屋がやりまして、その後「歴史の中の最上川」という話を、これは歴史の先生にやっていただきました。
 そこまでは地理や歴史ですから、ああそんなもんかと思われるんですが、その後がらりと話が変わってくるんで、例えば「最上川を読む」では文学に出てくる最上川の話をしてもらう。それから「最上川と治水事業」とか、そういうふうにいろんなことをやりますが、中で先程「おしん」の話がありましたけれども、「テレビドラマと最上川」というテーマには、これはテレビドラマの専門家ではない、ドラマにエキストラで出た友人に依頼しました。最上川を舞台としたテレビドラマとしては、「おしん」より前に、「いちばんぼし」という佐藤千夜子という歌手の話がありました。あの中で、最上川の橋のたもとで、薬屋・薬売りの将校の格好で出演したのが、私の友達の県庁マンです。その友人に無理矢理、テレビドラマと最上川ということで話しをさせました。
 そういったように、いろんな分野の学問の人と、いわばアマチュアで川にかかわるいろんな活動をしている人と、両方の人々の目で多面的に科学的に押さえて見るということが必要なんです。実は、これは私くどく申す必要はないので、この後のワークショップでですね、大洲の4人の先生方の多彩な顔ぶれと内容を見ますと、私が今申しております、最上川でやったような多角的なものの見方というのを、もっと面白い形で、もっと柔軟に自由に捕まえた話を聞けるだろうと期待しております。

芳我
 それではお話の流れとして、その次の項目の「川を庶民の目で見る」といったところに入っていきたいと思います。私は「川を庶民の目で見る」といわれると、実は数日前に、神伝流のビデオの編集されているのを見ていた時に、市の課長さんから「川の中から見る肱川、水の中から見る肱川、これはまた世界が違うようですよ。」と言われてはっとしたことを思い出します。水中眼鏡で、水の中を見た子供のころの体験があるからです。「庶民の生活」に光を当てるんだったら、やはり庶民の声を広く聞いてみないといかん。そういうことなのでしょうか。

米地
 私、昨日、河原で国際交流というか、本県在住の留学生の方がたくさん集まって、芋炊きをするところに会ったんですが、あの人たちにとって、おそらくすばらしい思い出になると思います。それは、川という自然を人と人との交流の場にしようとする、そこのところが何よりすばらしいことでございますが、もうひとつは日本の川の特質を皆さん感じたんじゃないかと思いますよ。ヨーロッパやアメリカの川には、河原というのがあまりないです。草っぱらが川岸まであって、草っぱらが途切れたところに川が流れているという感じのところが多いんです。日本の川は、先ほどの芳我先生のお話にもありましたように、険しい山からどんどん削られてきた砂利がある。河原に砂利があるというのは、日本やヒマラヤなどの限られた所だけなんですが、その河原の上で芋炊きをやるというのは、これはすばらしい知恵でございましてね。
 実は、最上川にも芋煮会(いもにかい)というのがございます。この芋はこちらと同じように里芋でございまして、醤(しょう)油じたてでございましょ。ここは似ております。それから、肉を入れるというところは共通しておりますが、こちらは鳥でしょうか。あちらは牛肉です。山形の場合、やはり場所は河原でございます。ただ感心しましたのは、山形では夜やらないんですよ。昼しかやらないんです。そのお話したら、夜やらなきゃと、こちらの方にだいぶ言われました。今度山形で夜の芋煮会というのを、愛媛の真似をしてやろうかと思うんですけれども。これはですね、実は農繁期を過ぎた時期の、ちょうどいいところにあるんですね。それで、山形の芋煮会が、現在、遠く各地にどんどん広がりつつあるあるんです。ただし味噌(みそ)じたてになったり、豚肉になったりしています。仙台の方では白菜をいれて、なんのことはない、豚汁になってしまってるんですが、それでも仙台でも芋煮会と称してるんです。いかに野外で物を飲んだり食べたりするのが楽しいかということですね、どんどん普及していく。たぶんこちらの芋炊きも普及中じゃないでしょうか。春、お花見がございますけれども、秋にはそれに相当するものがございませんので、こういう行事があるというのはすばらしい。
 山形の芋煮会の始まりには、二つ三つ説があります。旧制山形高等学校の学生たちがやり始めたもので、だから、芋煮会という近代的な名前なんだという説がある。次は、お百姓さんたちの土洗いの行事といいますか、農繁期が過ぎた後のごくろうさんでしたという会であったという説です。それともう一つは、最上川を通じて西の方と結びついた交流の場であったことと、関係があるのです。西の方から船で来た人たちがですね、最上川をさかのぼって船を止めておる時に、河原でやったという説ですね。何となく、醤油じたてで里芋を使ってやったというのは、あまり東北らしくないんですね。どうもこれは、西日本のそれと共通するのではないかと思います。いずれにしろ、庶民の知恵が生んだ行事です。河原というのはそういう行事のできる場として、親しみのあるところだと思います。

芳我
 山形の芋煮会というのは、お話のように夜やらんのだそうですが、昨日その理由をお訪ねしたところ、「山形はそのころもう夜が寒いからだ。」と、そういうお答えでした。では次に、「住民参加の地域学」というところに入りましょう。こういう郷土学の取組みは、もしお話を聞くだけだったら長続きしないように思うのですが、その点、人集めとか会の運営とかを、どのようにしていらっしゃるでしょうか。

米地
 そうですね。今、生涯学習というのが盛んになり、今こうやって皆さんお集まりで、一生懸命聞いてくださっているんですけれども、こうやって聞きっぱなしでですね。それで皆さんの知識が増えた。今日の話は面白かったとか、面白くなかったとかいう。こういう感想だけでは、学習としては、昔風の学習なんですね。やはり自分の側から、いろんなことをやったり、発言したり調べたりということがないと、いけないと思います。山形学では、必ず講座の中に普通の講義スタイルと違った形式も取り入れました。一つはセミナー形式で、わいわい論戦を進めようとしました。これは、なかなかうまくまいりません。
 今、わりとうまくいっているのは、二つありまして、一つはフィールドワーク、バスに乗って現物を見ながら説明する。そうすると、参加者の中から、いやこれはこうなんだという発言があったりすると、その方にマイクをお渡ししてですね。説明もしていただく。野外で現地を見るのが大切です。もう一つはワークショップという形で、今日のをもっと発展した形で、「私と最上川」というテーマで皆さんに発言していただくわけです。あなたと肱川とどういう関係ですか。肱川に関する思い出とかお考えを聞かしてくださいということで、皆さんにお話いただく。ここでは意外な発見がありまして、地域学がぐんと発展することがあるんですね。私どもが一番成功したのは「味の山形」という講座ですね。この時は、お酒を飲みながらやったんです。シンポジウムというのは、お酒を飲みながらの会話というのが、語源だそうです。そういうふうに皆さんが参加していただく。それはただ聞くだけではない。皆さんが現場に行って、たとえば「花の山形」というテーマではですね。花を食べる花食、例えば山形では「もってのほか」という変な名前の菊がありますけれども、食べるのがもってのほかかどうかはわかりませんが。そういう菊をはじめとして、いろんな花を食べるというのが、最近流行で話題になっているそうですが、そういう花で食べる、そのほか、花で染めるという活動もしましたが、これは女性の受講者が多かったですね。愛媛学でも、愛媛の花とか、花の大洲とか考えられますですね。大洲の方は花がお好きですね。町を歩いていると、あちことの家の前に鉢にいっぱい花が植えてありました。私の庭では、こんな花を、こんな風に飾っておったという形でですね、自分の話をしていくことができるのではないかと思います。

芳我
 ずいぶんいろいろと間口を広げた講座の取り組みがあるわけですね。どうぞそのまま、「住民参加」のお話を続けてください。

米地
 今申しましたような形で、まず住民の方に参加していただくということがあります。それから、地域には様々な「あ、おれんちもそうだ。」という共通するところもあり、あるいは違うんだという、例えば芋炊きは夜だが、芋煮会は昼ということで、河原でやることは同じだという、そういう違いのあるところをお互いに見つけたりして、両方のものを寄せ会ってお互いに学び合うということが大切ではないでしょうか。私も今度大洲に来て、ずいぶん勉強させていただきましたし、いろいろ教えていただきました。こういうふうにお互いに学び合う。しかし、これだけでは聞き放しになりますから、何らかの形で物を作り出す、残していくということをぜひやってもらいたいですね。
 皆さんのお手元にある「愛媛学のすすめ」というのは、いわば入門編ですね。これから、どんな成果が愛媛学から出てきたかについては、愛媛学はセンターに専門の方がいらっしゃって、地域研究をやってらっしゃるが、そういう成果とはまた別に、今度は皆さんとのこういう講座の中で作り上げたものを形に残るようにして、もっと広い、ここに参加した以外の人にも分かるように、発展させていただきたい。例えば山形学の場合には「母なる川・最上川」というテーマで本をまとめたわけです。それから「山形の山々」という形でまとめたりしました。残念ながら、これらの著書には一般参加者の報告を収録するまでには至っておりませんけれども、これからはそういうふうにもしていこう、それからそういう人たちが集まって、ここでいえば大洲学学会、大洲を学ぶ会でもいいですね。そういう形にして残していく。組織にして広げていく。そういうことを、是非やっていただきたいですね。