データベース『えひめの記憶』
わがふるさとと愛媛学 ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~
1 全国に誇りうる古式泳法としての特色
(1)泳法の極意
大洲神伝主馬流は、競うのではなく極めることに意義がある。他の流派の泳法に比べて、泥の付いた大根のような、粗削りな中にも軟らかく、優雅な大洲らしさを出している泳法である。また、元を一つにして変化・練達、極まりない、真行草、すなわち天地人、当流・正体・三段の基本泳法があり、これが入門の出発点であり、また極意到達の終着点でもあると言われている。また細かく分けると、水上・水中・飛込み技・矢倉技など50を越える泳法がある。
(2)ビデオ視聴
-真行草の泳ぎ方、4kgの鎧を着ての泳ぎ、日本泳法発祥の地紹介、近代泳法のクロールと日本泳法の違いの実験-
スピードでは近代泳法だが、川の流れの中で目的地へ到達するためには日本泳法の方が優れている。
(3)日本最古の泳法
神伝主馬流は、この肱川で1617年加藤主馬光尚より、柳の枝が川の水面に揺れるのにより創始されたと伝える。現在日本に残り、日本水泳連盟が認めている流派は12あるが、その中で神伝主馬流がもっとも古く、その発祥の地がこの大洲の肱川である。その後、松山・岡山・広島・兵庫・東京・新潟各地へと伝えられ、現在全国15の地域で継承されている。
(4)武士の生活文化から生まれた泳法
この泳法は、大洲藩では剣術弓術とともに武士たる者の一つの生活文化、水練術として学ばれた。また、文献によると、夏には肱川で、12、3歳から50歳の藩主にいたるまで、午前中2時間練習に励み、土用の終わりに、藩主の御上覧があって、当日の出場者の父親は息子に対して、万一不覚を取ることがあるのならば、潔く切腹せよと戒めたということである。参勤交代の折、多くの藩は大井川を渡る時、大変苦労したそうだが、大洲藩はあまり苦にすることなく整然と渡ることから、川渡し人夫が、「伊予の川猿」と呼んで、感心したと伝えられている。