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わがふるさとと愛媛学   ~平成5年度 愛媛学セミナー集録~

1 遺跡発掘にひかれるロマン(動機)

長井
 今日は対談講演として、考古学の本格的研究家であります橘先生をお迎えしております。私は愛媛県に住んでおりますので、またの機会にお顔を会わせたり、あるいはお話をしたりすることも可能かと思います。ところが先生の方はそういうわけにいきませんので、今日は主として先生に私の方から、いろいろなことをお伺いするというような形でお話を進めていきたいと思います。
 まずはじめに、考古学の目的ですが、要は昔の文字のない時代をどのようにして再現するのか、復元するのかということです。昔の人々が住んでいた家の跡や、埋葬されているお墓を、考古学では遺構と言います。土器とか石器とかいう、昔の人が使っていた道具を遺物と言います。そういうような遺構とか遺物によって、昔の歴史を復元していく。それが考古学ということになります。
 これらの実物から出発するために、考古学は学問の中で一番とっつきやすい。小学校あたりの子供でも、趣味は考古学だと答える子もいます。ところが小学生の子供で昆虫・植物採集をしていても、生物学が趣味だとか昆虫学が趣味だとかは言わないんです。それぐらい考古学というのは、学問として大学などでもやると共に、いわゆる小学校の児童にでも対象になるようなところがあるのではないかと思ったりしております。そのような点で、だれもが参加できる生涯学習としての愛媛学に相通じるものがあると思います。このような観点にたって、平城貝塚と考古学の話を進めて参りたいと思います。
 橘先生は考古学を専門にされているわけですが、先生には考古学に関心を持たれた、そのいきさつなどについて、まずお話をお願いしたいと思います。


 今、紹介いただきました橘です。それで私自身が考古学を始めたいきさつには、あまりロマンに燃えるようなこととか、あるいは皆様方が感心するようなことというのはないんです。あえて探しますと、中学校の時に、社会科の先生に古墳、大昔の人のお墓の見学に連れていってもらったことが、どうも私の考古学の第一歩ではなかっただろうか。それともう一つは非常に大昔の歴史が好きでしたが、私はずぼらな方ですから、あまり文字に関係ない時代、あまり皆がやっていない古い時代の事が一番いいのではないか。いろんなロマンが言えるのではないかというような、かなりファジー(fuzzy)なことで入った部分もあるのではないかと思います。ですから決して、優秀で大学の先生になったのでも何でもなくて、ただあまり人がしていない分野を、ある意味で自由な考え方ができるところというような感じで、入ったような気がするので、皆さん方に威張って話せることがなくて申し訳ないんですけれども。そういったところです。

長井
 今、先生から御自分の考古学の道に入ったところをお聞きしたわけです。ここで発掘に携わった方で、この後のワークショップに出てこられます木村先生は、小学校時分に校長先生のお話から考古学に興味を持ったそうでございます。私は、木村先生と非常によく似ております。私は高等学校は工業の機械科で、あまり国語つまり古文書の方での勉強を知らない。大学に行きましたら授業の方は嫌いになって、どうしようかと。それなら字の無い時代をやればいいじゃないか、ということで考古学をやったという非常に単純明快なことなんですが。
 だいたい現在考古学をやっている人は案外非常に小さい時分からやっている人が多い。私は高校時分からやっていますが。最近松山あたりでは、僕も年寄りですので年をとったと言うと失礼に当たるんですが、年取った人がやはり考古学に関心を持つということが多いです。一番身近なと言いますか、今からでもすぐ取り掛かれるというような、子供が取り掛かれるということは、だれでも取り掛かれる学問ではないかと思うんです。