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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇久万の自然環境(森と町を結ぶ視点から)

松井
 それでは、これから対談講演ということで、遠路九州から来ていただいた広松先生に、お話を伺っていきたいと思います。
 今日のテーマは「自然と共に生きるくらし」ということですので、最初に私のほうから、「森と町を結ぶ視点から久万の自然環境をどう理解したらいいか。」ということについて話をさせていただきます。
 今、この久万地方の風景を見渡すと、スギやヒノキの人工林が圧倒的に広がっているのに気付きます。久万町の面積の80%以上が森林で、おそらくその90%前後が人工林でしょう。この久万地方の風景を、ずっとさかのぼって、大昔からどのように変化してきたのかを考えてみたいと思います。
 狩猟採取をしていた縄文時代には、この一帯は、原生林で覆われていたはずです。海抜が500mを超すところが多いですから、シイは無理としても、ウラジロガシ、シラカシ等のカシを主とする照葉樹林で一面覆われており、川沿いには、ケヤキ、サワグルミ、カツラ、トチノキなどの落葉の広葉樹林が帯状にあったと思います。中腹の尾根には、モミやツガの林、岩峰(がんぽう)にはアカマツ林、そして海抜900mを超すと、もうそこはブナの林。縄文時代には、そういう原生林で覆われていた。
 やがて、農耕が本格的になると、人々は定着して集落は次第に大きくなりました。人々は、日々の燃料のために集落に近い所から木を切っていきます。斜面の下のほうからだんだんと原生の林がなくなって、そのあとには雑木林ができます。おそらく中世には、久万に限らず西日本一帯の集落を囲む山では、雑木林がずっと広がっていたと思います。人口の多い松山市だったら、雑木林どころかもうハゲ山です。内陸の林でもくり返し伐採されて、薪(まき)や木炭として沿岸部の城下町へ運ばれました。その結果、中世のころは雑木林に覆われていた時代とも言えます。この雑木林の時代は、明治、大正、そして昭和の前半までずっと続きます。
 雑木林の風景というと、年配の方だったら子供の時に親しんできたでしょうが、今思えば、雑木林には春の芽吹きと新緑、夏の濃い緑、秋の紅葉、そして冬木立という四季の変化の美しさがありました。それに、山菜やキノコ、それらをねらっていろんな虫や獣もやってくるというわけで、雑木林は様々な生き物の生活の場でもありました。人間も、雑木を切って薪にして、落ち葉もかいて、持って帰る。日常の生活道具もそれで作る。雑木林というのは、毎回切ることで成立する林ですから、こうして、人間と木のとてもいい関係が、ずっと続いてきた。
 雑木林の時代には、雑木林だけではなくて、民家の裏山には竹林もあって、竹林の近くに松林もあった。ちょっと斜面中腹に入ると、田畑にやる肥料、家畜のための草地(採草地)があって、もうちょっと奥に入ると焼き畑があったり、さらに奥に行くと茅場(わらぶき屋根のススキを作っている所)、いよいよ山奥になると原生林。そんないろんな風景の要素が用意されていた。これが本当に美しい日本の風景だろうと思います。
 それが、戦後に大きく変化します。一つは、燃料革命の影響。プロパンガス、石油、電気の普及によって、もう家で薪をたく生活というのがなくなった。木炭もいらなくなった。雑木林というのは、薪や木炭の供給源として経済的な価値があったわけですから、その意味がなくなった。もう一つは、建築ラッシュ。戦後の復興、そのあとの高度経済成長による所得倍増で、建築用の木材がどんどん売れだした。昭和30年ころには、それっというので、特にスギ、ヒノキをさかんに植林した。相次ぐ拡大造林の結果、現在では見渡す限りの人工林。今や久万は、全国的にも有名な植林の町になっています。
 つまり、久万には三つの風景があるわけです。一番最初は、圧倒的な原生林の風景。それから、四季の変化のある雑木林の風景。そして、現在の人工林の風景。ただし、この人工林がこんな広がったのは、せいぜい30~40年前から。それぐらい短い歴史です。ですから、日本の文化・日本の歴史は、ほとんど、雑木林と共にあったと言っていいと思います。しかし、経済的価値がなくなったことで雑木林が急減しましたが、それと同時に、何千年もの間に日本人が作り上げた、「木と人間のいい関係」というものも見失われつつあるのではないでしょうか。
 以上、現在の自然環境や風景をどう理解するかということについて、森と町を結ぶ視点から、述べさせていただきました。
 今度は、町と水との関係ということで、広松先生のほうから、柳川の堀割について、掘割の成立から、お聞きしたいと思います。私も、柳川には以前に行ったことがあります。掘割を船で上がった時に、「ここは、なんて水が豊かな町なんだろう。」と感じて、ずっとそういうふうに思い続けてました。ところが、今年の渇水で、どうも涸(か)れているそうですね。そのあたりも含めて、広松先生、よろしくお願いします。