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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇自然と共に生きるライフスタイル

 このように生活している中で、土に返るものと返らないものについて考えるようになりました。土に返るもの、それは、食物の残ったものでも、薪の燃え残りの灰でも、畑にまくと、土が分解して、皆それが肥料になって、畑の野菜を育ててくれる。作物が太る。
 困るのはビニールとか、土に返らないものなんです。どこにも捨てられないゴミを持って帰る場合、処理(焼却など)できるものはいいけれども、処理できないものは、家のどこかに置いておくしかないんです。
 この地球を一つの「家」と考えたら、今のゴミ問題も同じことで、自分たちが知らないで当たり前と思って使っている人間が作った物でも、最終処理がどうなるんだろうって、ある程度考えたら、そんなにじゃんじゃん使って、ポイポイ捨てるというようなことはできないし、一人一人が気を付けたら、ものすごく違ってくると思うんです。東京にいる時は、ゴミ屋さんが何曜日に来るから、オルゴールが聞こえるまでに出せばいいと思っていたんですけれども、今、自分が山の中で生活して、初めて気が付いたんです。
 お水もそうでした。水が出ない場合は、自分が水を汲(く)んできて洗い物をします。そうすると無駄遣いをしないんです。洗濯機はもちろん使えなかったです。凍って水が出ない場合は、手で汚れた部分だけ洗うと、もっと節水できる。自分で体を使わないで、ジャージャー蛇口をひねっていたら、やはりその有り難さは、わからなかったと思います。
 食べる物も、野菜ができない時はその辺の草を食べます。今はタンポポがすごくおいしいんですが、本で調べると、胃と腸によくて血液をきれいにするらしいんです。スギナのお茶は、腎臓と肝臓にいい。だんながどんなに酒飲んでも大丈夫。そんなことを知らないうちに、健康が作られている。
 今、酸性雨の問題などいろいろな現象が話題になっていますが、今、そのことに気が付いて直せるか、それとも本当にだめになってみて直すか、その分かれ道に来ているということを、山の中で生活してみて実感しています。
 私は体の弱い子供を生んで、健康の大切さを知りました。また、生活を通して、不便さ、便利さというものも、自分の身をもってわかりました。
 息子が弱かったお陰で、最初は、なんでこんな子供が生まれたんだろうって、下ばっかり向いている時は、いい事なんか、何一つ見つかりませんでした。逆に弱い子は弱い子になりたくて生まれてきたんじゃない。私も弱い子を生もうと思って生んだんじゃない。たまたまそういう子が生まれた。だったら、それをどうしたらいいだろうということから、喜びを一つずつ、苦しみを逆に、面白い事とか、喜びに変えていったら、前がものすごく開けてきました。
 だから考え方一つで、どんなにでも変わるという。それを今ここで生活して、実感しております。どうもありがとうございました。