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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇保内町の明治の街並み再発見と、現在のまちなみクラブの活動

  *スライド映写(紙数の都合により、写真の一部のみ掲載)

 写真1は、鍰(からみ)レンガと言い、大峯鉱山で精錬をする際に、余った残りカスを鋳型に入れて固めたもので、とても重いものである。保内町の沖合に浮かぶ佐島に精錬所があった。この銅山の界隈には、この鍰レンガが、塀とか建物の基礎や倉庫に使ってある。こういう知られざるレンガを何とか生かそうじゃないかという、まちなみクラブの物好き連中が集まり、愛媛銀行川之石支店が新築工事をするという計画を察知した時点から、使ってくれという運動を起こした。そういうことで、このように塀に使ってもらうことになった。そうこうしていると、ショッピングセンター保内というスーパーでも、使わせてくれということで、歩道に敷いた。保内は鉱山の町であったということが、ほとんど知られざる事実であったものを、このような活動で、証拠を残そうとした。
 写真2は宮内川河口にあたり、東洋紡績川之石工場のレンガ倉庫だった建物である。この工場は、明治10年代にできた宇和紡績の後身であるが、今は製材所になっている。
 川之石の琴平地区には、鉱山とか紡績とかの経済力をバックボーンに建てられた洋館がいくつかある。写真3は旧白石和太郎邸の洋館である。今回、この洋館は、町が購入して保存するということになり、そういう我々の動きがやっと少しでもお役にたったのかなといううれしさがある。この洋館には、ちょっとわかりづらいが、玄関ホールの天井飾りに、世界地図が描かれている。明治の中期に、このようなデザインが施された洋館が保内にあったということである。この他にも、旧宇都宮荘十郎邸の洋館や、雨井にある海運の豪商「おやけ」の明治時代の優れた建築物がある。
 また、「愛媛蚕種(旧日進館)」という、県内で唯一の蚕種工場があり、この木造3階建ての建物も珍しいものである。また夏には、やんちゃ祭りというのがあり、夜は川之石湾の約5キロに灯油缶を並べ炎をともして、炎の祭典というのを、ここでやる。
 おそらく松山界隈の方は、そういう保内の町の姿というのを見られた方は、あまりいないんじゃないかと思う。地元の人たちというのは、水や空気と同じように当たり前のように過ごしていると、そういう魅力に気が付かないということもあるのではないか。じゃあそういうのを掘り起こそう。光を当てようということが、だいたい我々のまちなみクラブの運動趣旨である。
 街並みをそうやって子細に見ていくと、いろんなヒントがあったり、広がりがあったりして、プラス思考というか、わくわくすることが多く、地域の将来をあまり悲観しなくなる。保内まちなみクラブのメンバーには、いろんな職種の人たちがいるが、地元の身の回りの魅力に一つ一つ気付いていくという作業は、非常に楽しい作業なので、過疎地である現在の保内の地域づくりの一つとして、全員が楽しみながら頑張ってもらっている。