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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇「新四国八十八か所」復活と「旧街道を歩く会」の活動

 その「ふるさとに学ぶ会」のメンバーたちが早速応えてくれ、機関紙に載せてもらい、それに地域の人が特に力になってもらって、「新成新四国保存会」というような会もでき、後の44体発見、あるいは新調という形で88体全部揃った。たまたまそのころ、私の本を見た放送局の方から電話があり、新宮村の方で珍しい行事はないかという問い合わせがあった。そこで、こういった会ができ、行事を始めようとしていると申し上げたら、早速飛びついてくれた。この昭和55年の1月の「新成新四国保存会」の行事について、放送局では特集を組んでいただいた。これがきっかけになり、今年で15回目の縁日を迎えることができ、先般の10月2日の日曜日、秋の縁日という形で、私も参加してきた。
 その後、しばらくそんな活動も続けていたが、私は昭和56年の3月に新宮村を離れ、ちょっと縁が切れた。その後平成3年になって、古い歴史のある旧街道と、健康づくり、そういったものを組み合わせることはできないかということで思いついたのが、「旧街道を歩く会」という会である。写真にあるように、古い街道を次から次へと歩いて、歴史の勉強と、体力づくりと両方兼ねようではないかという会である。ただこの会は、毎回参加する人が次々に変わる。そして参加した人がその時の会員だと、そんなふうなことでやっている。従って会場とか会則とか会費とかというのは一切ない。汽車とかタクシー等を利用して、目的地まで行った場合は、均等に負担していただくということだけである。それだけのことで次々とやってきた。高知から丸亀までおよそ120kmの昔の街道、土佐藩主の参勤交代道で、現在土佐街道という言い方をしているが、これを踏破しようというものである。一回目の踏破は終わり、現在、遍路道の調査とかいったのを含めて、およそ25回を超えた。毎回10人を超える参加者があり、多い時は30人ぐらいということもある。そんなふうな活動というのが、私たちの今やっているものである。
 この活動で歩いてみると、写真のように、大事な所に林道をつけてしまって、元の街道の残骸(がい)しかないような状態も、よく認識することができるようになった。これがお隣の高知県にもある程度波及し、今年500万円の予算をもらい高知市から大豊町までの各市町村の代表者が集まって、保存運動というのがなされようとしている。ところが本家本元の私たちの方は、なかなかまだそこまで進んでいない。できたら、私は高知県から愛媛県を通って、香川県まで含めた丸亀まで、一つの自然遊歩道的な歴史の道という形で120kmの道を何とか保存・継承し、またそれを利活用していきたいと考えている。
 実際にやってみると、毎月このような会を催すというのは非常に難しい。同じ道を歩くということが非常に多いが、何か一つでも新たな発見をするというのが、私たちの会の一つの特徴ではなかろうかというふうに思う。これが1回だけで終わるというのは、非常にもったいない。写真とか記録とかもとりながら、無理のいかないように、そしてまたけがをしないように、次々とこれからもやっていきたいと、考えている。
 私たちはこのような形で活動をしているが、実際のところ、これは本当に好きだからやれるのだと思う。これがもし、嫌々、強制的にやると、強制した人を恨むのではないか。山道でおよそ25kmくらい歩くわけだから、それぐらい厳しい時もある。朝9時ぐらいから歩き始めて、5時ぐらいまで歩く。中には1人で飛び回って、こつこつと道作りとか、あるいは説明板を立ててくれる人もでてきた。これが非常に、地域に波及効果を高める意味ではいいのではないかと思う。