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わがふるさとと愛媛学Ⅱ ~平成6年度 愛媛学セミナー集録~

◇地域学における遊びと自由な発想の必要性

 日本では遊びということは罪悪のように考えられておりますが、これは明治以降の二宮尊徳の教えです。あの形ができた明治のころ、何が必要かと言いますと、国家的に尊徳の教えを模範として、日本人は働きましょうと。その働くという目標は何かというと、今までの中国や朝鮮半島から学んで来た和魂漢才をやめて、和魂洋才になろうと。つまりヨーロッパの文明を入れていこうということです。その時に忘れたのは何か。日本人の持っているアイデンティティを忘れてきた。つまり科学を発達、産業を発達させる。20年程前、ロンドンタイムスに、「日本人の変化に学べ」という記事が載った。変化に学べとはどういう事かと申しますと、つまり坂本竜馬の言葉だということですが、「昨日の俺は今日の俺じゃない」と。それは幕末に「船中八策」を書くような時に、つまり日本が揺れ動いて、明日はどうするか、日本の将来をどうするかという時に、昨日考えていた事は今日の俺が考えている事とは違うんだと。それくらい変化を生き抜いてきた。それはそれなりの意味がある。それから論理性がある。けれども、変化だけを追い求めているのが現代の日本ではないだろうか。つまり、どこかで何かイベントをやって大当たりをした。そうしますとそれにみんな「右へ習え。」と。これではいけないのではないでしょうか。
 一番いい例は、ある府県の方が、この間江戸東京博物館においでになりまして、東京がこういう博物館を作って、大分人が来ているようだから、同じようなものを作りたいと。同じようなものというのはどういう意味ですかと言うと、人が来るような所だと言うから「それはここへ来てもダメです。これは皆さんでお考え下さい。」と突っぱねたんですけど。何かネタがあるだろうと。何か鍵があるだろうと。まあしつっこくお聞きになりますから、何にもありません。何もないけれど、ただ一つ我々がやったのは、江戸時代から現代までの史料を徹底的に洗うことだけです。歴史の史料をですね。で、それをできるだけ忠実に、しかも易しく表現する事だけを考えてきましたと答えたんです。
 これが12年間の我々120人ほどの学者のやってきたことでした。120人ほどの学者がカンカンガクガクやり、まとめるのが大変でしたが、基本的には「勝手にやんなさい」と言いました。勝手にやんなさいと言っても、コンセプトがあります。江戸東京博物館のこの部分のコンセプトはこれ、この部分のコンセプトはこれ。それだけはちゃんと守って下さい。そういうことで、あとは自由に。そうしますと、予想外のものが出てくるんですね。それは非常に大事なことです。先程、一番最後のお話にあったから覚えておりますけれども、割合気楽に、自由にやりましょうというのは、もう本当にそうなんですね。これをですね、最初から「愛媛学とは何ぞや」というふうに始めたら、もう十日も続きませんよ、これは。私のやっている研究会では、全部が同じような立場で発言できるという、そういうやり方をしているんです。これはとっても大事なことなんですね。その、雰囲気作りっていうのは。皆が同じ立場にいるということ。だから優れた学者、著名人に御発表していただく時には多少緊張いたしますけれども、後の討論の時には皆同じように話をする。そういう雰囲気が、非常に大事な事なんです。ですからそういう意味では、地域を活性化するには、自由さと遊び心が必要だということ。それが第一の条件であって、あまり面倒な規約というものを決めないこと。これが地域学を興す一番大事な点だろうと思います。