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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成7年度 愛媛学セミナー集録~

◇漂着物収集の楽しさ

石井
 私が海岸を歩くのは、ちょうどこれからの、北西の季節風が吹く季節です。だいたい今月(10月)の終わりぐらいから来月の初めころに、ちょうど木枯らし1号として、非常に冷たい風が吹きます。枝先に残っている枯れ葉を、その風が吹き散らして枯れ木にしてしまう、そこから木枯らしという名前がついたそうですが、ちょうど七五三のころくらいが、冷え込んで、その風が吹いて来ます。黒潮には、いろいろな物が流れているわけで、いわば、ベルトコンベアーと思ってもらえばいいのですが、そのベルトコンベア―に乗って漂っているものが、この風(これは大陸の方から、日本列島へ吹いて来るのですが)に吹かれて、沿岸に流れ寄って来るわけです。ですから、だいたい翌年の3月ぐらいまで、この北西の季節風が吹いて、漂着物がたくさん寄って来ます。反対に、夏は南東の季節風で、太平洋側から風が吹くので、太平洋側に漂着物が多くなります。私は、冬の北西の季節風の吹く期間に海岸歩きの楽しさを味わっております。
 漂着物というのは、ただ浮かんで流れて来るものだけではありません。たとえば、骨であるとか、重い石であるとか、あるいは焼物の破片などのように、沈んでいる物が、波の作用でゆりあげられる場合もありまして、それらも漂着物の中に入れております。
 こちらの海岸でしたら、そういう沈んでいるものが打ち上げられる可能性がずいぶん多いのではないかと思います。また、先ほども申しました大三島の宗方の起こりのように、当然浮いているものも来るわけです。三崎町の伝宗寺でしたか、あれも漂流物の、流木でお寺が建てられたと聞いております。
 そういうように、ここには流れて来ないとか、あるいは沈んでいる物しか、関係ない、そういうことは言えないような気がいたします。何が寄るかわからない。何が流れて来るかわからない、というのが、漂着物ではないかと思います。