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わがふるさとと愛媛学Ⅲ ~平成7年度 愛媛学セミナー集録~

◇かまぼこのルーツ

 御紹介いただきました、島原でございます。
 「かまとと」という言葉を御存じだと思います。かまぼこを見て「これは、とと(魚)か。」と聞いたということから転じた言葉です。原料が魚であるということを知っておりながら、「これはかまぼこか、これはととか。」と聞いたのは、つまり、「魚の歯ざわりと、かまぼこの歯ざわりとは、全く別のものである。」というふうに、私は、この言葉をより深く理解しております。
 今日は、京都大学などにおられ50年にわたってかまぼこの研究を今も続けられている志水寛先生の資料を参考にさせていただきながら、述べさせていただきます。
 かまぼこの起源については、いろいろあるわけでございますが、はっきりした説は今のところありません。およそ1,000年ぐらい前の、平安時代の中ころの宴会の記録に、かまぼこの絵があり、「蒲鉾」とちゃんと挿し文字で書いてあります。
 その当時のかまぼこは、蒲(がま)の穂の形、今のきりたんぽとかちくわの形をしておりますから、ちくわがかまぼこの原形にあたるような感じです。「板」についたのは、ずっと時代が下がってからと聞いております。
 大昔、たとえば1,000年前の昔から、加工食品というのは保存性を目的にしており、味がどうなろうと、だいたい保存性・貯蔵性を第一に考えられておりました。日持ちさせたい一念で、とにかく保存したいというのが、大方の加工食品だろうと思います。
 そんな中で、1,000年の大昔に、保存を目的とせずに、魚から身だけを取り出して、それに塩を入れて擂(す)り潰し、しかも竹の串につけて焼いて食べるというのは、相当に凝ったグルメ指向の食品ではなかったろうかと思われるわけでございます。おそらく、当時、食べ物に少しゆとりのできた貴族階級の人たちなどの舌を喜ばせるために、お抱え料理人たちが工夫して作ったものではなかろうかと、思っております。したがって、1,000年以上前からできたかまぼこというのは、現代にも通じる、非常にユニークなグルメ食品であろうと、私どもは位置づけております。
 ①塩を加える、②魚肉を擂る、という二つの要素が同時に働かなければ、かまぼこの弾力にはなりません。塩を振っただけで魚の身を焼いたら、単なる塩焼ですし、また、骨から外した身をすり鉢ですっただけでは、単なるボソボソの擂り身で、かまぼこはできないんです。大昔のかまぼこの発見者は、最初はおそらく、味付け・調味のために塩を振ったのであろうし、かなり試行錯誤をやったのではないかと思います。我々は今でも、「生の魚に塩を入れて、同時に擂る。」というこの原理の通りやっているわけでございます。
 今日のためにちょっと実験してみましたが、すり鉢を使わなくても、御家庭で簡単にできます。ミキサーに、魚の身と塩を適当に入れて、20秒ぐらいダーッと回すと、きれいな擂り身ができました。