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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇地域を楽しむ

若林
 ありがとうございます。
 今、先生から、実際に地域を調べるにあたっては、「楽しく調べるということがいい」というくらいの気持ちでスタートしたのでよいという意味のお話もいただきました。
 ではそのいろいろなことを調べる場合、「何をどうする」ということが、まず前提になると思います。その「何を」、もっともらしい言葉で言うと、「研究の対象」ということになりますか、先ほどは、「横浜のことだったら、ありとあらゆるものが何でも、気楽に対象にできるのですよ。」というお話でしたが、横浜学の中でこんなユニークなものもあるという、その辺りのところを、もう少し具体的に御紹介いただけませんでしょうか。

加藤
 たとえば、一番小さいものをあげると、ステンドグラスがあります。それから、家具。少し大きいものになると、橋や水道などのインフラですね。さらに映画や演劇など。自然に関するもので言うと、たとえば鶴見川。これはすごい暴れ川で、しょっちゅう氾濫(はんらん)を繰り返して来た川ですが、それの周辺の環境をきちんと保全すべきだというような話ですね。そのほかにも、きっかけはいくらでもあるのではないかと思います。
 横浜が人口の大きい都市だから、何でもころがっているという面も確かにあると思いますが、小さい町でも、それなりにネタはあると思います。北条にどういう対象があるかは、今日1時間ほどしか見ていませんので、なかなかわかりにくいのですが、たぶんこのあとのワークショップの中で、このようなことをこんなふうにやっておられるというお話を伺ったあとには、「それではこのようなこともあり(でき)ますね。」というふうに言えるのではないかと思います。

若林
 はい、ありがとうございます。
 今度は、「何をどうする」の「どうする」の方ですが、先生はその部分で、「比較」ということと「つながり」、すなわちどういう関係にあるかということについて見ていくといいというようなことをおっしゃいました。
 この点につきましても、「比較」ということでこのようなことをした、あるいは、「関係」をこのようなものから見てみたという、もう少し具体的なお話をいただけるとありがたいのですが。

加藤
 横浜学の存立基盤というか、あるいは、横浜市民全体、さらには日本国民全体にかかわるような問題として、まず一つ、旅行があります。現在は、旅行、それも海外旅行が大変盛んで、年間1,500万人ぐらいが海外に出る時代です。その際には、どこか、たとえば上海(シャンハイ)、あるいはタイというように、行く対象がまずあるわけです。
 1回目は、スッと回って、ああおもしろかったと思って帰るかもしれませんが、それが2回目ともなると、当然ながら、自分が上海なら上海、タイならタイに関心を持つのはどうしてだろうと考えるようになります。自分の住んでいる町、働いている町と比べてみたら一体どうなのだろう。それは、国際化が進み、世界的に人の移動が大きくなる時代にあって、自分の知らない文化、つまり異文化に接することによって、自分の文化、すなわち自文化を自覚するようになった結果だと思います。
 それは国内でも同様です。子供が、たとえば大阪へ出たので、大阪に子供を訪ねた。そうしたらどうだ、大阪や東京など、巨大化して人を引きつけているところに比べて、自分の町は空洞化してしまって、もう先がないのではないか。そういうふうに考えがちなのですが、それはどうも違うように私は思います。
 その理由の一つは、ふるさと意識の違いです。この言葉は、横浜では行政も使い始めていますが、われわれの世代のふるさとと言うと、普通は「遠くにありて思うもの」だったのですね。自分が現在住んでいるところを、ふるさととして意識しろと言っても、それはなかなか無理な話です。都会に出て、何かの時にフッと「ああ子供のころのあの風景が」と振り返るのがふるさとであり、それは「遠くにありて思うもの」だったわけですが、それは出っぱなしの、つまり都市にほとんどの人間が行ってしまう時代の話です。
 確かに、子供たちは一時期都会に出るかもしれません。しかし、途中でふるさとに帰ってくるかもしれません。あるいは、老後になって帰ってくるかもしれないし、ひょっとすると、帰ってこないかもしれません。こうした中で、一方通行の、つまり小さな町や村が大きな所に吸い寄せられて空洞化するという時代は、せいぜいこの近代の100年間の特徴だと思うのです。それ以前の時代はそうではなかったし、これから先も、もう少し違う形で21世紀が進むのではないかという予感を持っています。
 ふるさとをどのように理解するかということについては、昔から蓄積されてきているわが町わが村のいい所、たとえば、古いお寺があるとか、そういうことを見るだけではいけないと私は思うのです。つまり、時間軸で言うと、後ろのほうだけを見ていてはいけない。この先、10年、20年先、自分が生きている間に、わが村をどういうふうにしたいのだという一種の表明、つまり遺言を若い人たちに伝えることによって、「そうか、先代はこう考えていたのか。」と、彼らがこれからの方向性を自覚する大きなきっかけになるように思います。