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わがふるさとと愛媛学Ⅳ ~平成8年度 愛媛学セミナー集録~

◇お遍路さんの変遷

 さて次に、お遍路さんの移り変わりについてお話したいと思います。旅館は、1937年(昭和12年)ころから、現在地で、母が2、3人のお手伝いさんの手を借りてやっておりました。1937年の暮れころから日中戦争の影響でしょうか、この卯之町が軍需物資の集積地となりました。そのため、輸送関係のお客でにぎにぎしい毎日でした。私は1938年春、兵役に服するため、旧満州(現在の中国東北地方)に行き、帰って来たのは終戦の翌年、1946年のことです。ちょうど50年前です。やっとたどりついた我が家は、家や町並みはそのままでしたが、母の老いたる姿が、苦労のほどをしのばせました。療養中の妻も引き揚げた年の末、この世を去り、亡妻の遺言で義妹をめとり、やっと悪夢から覚めた思いです。私が帰ったころ、全ての生活物資が厳しい統制下におかれ、私たちのような食品提供業者は、苦しみの明け暮れでした。お客さんも、時勢を認識され、よく耐えてくださったことと思います。
 1950年(昭和25年)、朝鮮戦争が始まり、日本は好景気に向かい、私たち業者もやっと活気を取り戻す感じでした。1955年(昭和30年)ころとなりますと、四国88か所参りのお遍路さんが来られるようになりました。これも身近な人の供養と、各自の修業が目的でしょう。やっと日本に平和が訪れたあかしです。
 私のうちにも、大勢来てもらうようになりました。しかし、お遍路さんは、年中あるわけではありません。1年中で最も多いのは春の彼岸と秋の彼岸を中心に、40日ぐらいがシーズンです。お遍路さんの職業も千差万別で、お国元も北は北海道から、南は鹿児島と、全国津々浦々からおいでくださいます。年齢はやはり男女共に還暦を迎えられた方が80%以上を占めています。
 巡礼をされる方の足は、交通事情が良くなりましたので、マイカーが断然トップです。次にタクシー、マイクロバスなどです。徒歩で来られるお客も1年間に30人ほど、お見受けします。第1番の霊山寺(りょうぜんじ)より、88番の大窪(おおくぼ)寺まで、延々1,300kmの道程を、大師の足跡を踏み締めながら黙々とおいでくださいます。そうしたお遍路さんに対して、私たちはその精神力の強さに、心うたれるものがあります。
 OLの娘さんから、僧侶修業の学生さんまで、100年前ならいざしらず、今どき歩いての巡礼は一般の人ではできがたいことです。まず第一に、健康、体力が必要です。次に40余日の余暇と、これに伴う旅銀が必要です。
 御投泊くださるお客さんに対しては、いかなる人に対しても、親切丁寧をモットーと心得ています。旅の疲れの一時、この町の歴史と宇和文化の里の御案内を簡単に説明しています。お客さんの中には、「こんな由緒のある町とは知らなかった。明朝案内をしてくれないか。」と言われる方もおり、私は喜んで、御案内させてもらっています。今までもう30例もあります。こうした仕事を毎日やっていますと、数々のエピソードもありますが、時間の都合で割愛させていただきます。
 北海道から来られたおばあちゃんが、入れ歯を紛失されて、慌てられたこと、また、おばあちゃんが、じいちゃんの位牌を置き去りにされて、そのあとを私も追い掛けてお届けしたこともあります。数珠、袈裟の忘れ物など、枚挙に限りがありません。ただ一つ申し上げたいのは、高松の小川さんといわれる82歳の老人は、四国巡拝182回目で、拙宅では最多数の巡拝回数保持者です。錦の納め札を、各寺々へ納められ、天下泰平を祈念されておられます。
 お遍路さんのお世話をさせてもらって、もう50余年になります。私たちはこの仕事に誇りと希望を持って励んでおります。老齢の身なれども、余命ある限り、先祖の偉業を守りまして、後者に託したいと思います。
 こうしてさびれていく中町界わいを憂慮された町内有志の方々が、宇和郷土文化保存会を結成し、先人たちが残された貴重な文化遺産の保護や発掘に尽力されまして、そのことに対し、1973年(昭和48年)、愛媛県より「宇和文化の里」の指定を受けることとなりました。かくして皆さんの御協力のもと、町内にも中町を守る会などが自主的に発足し、もう一度昔の中町を取り戻そうではないかと、町の理事者、行政当局に懇願を努めているところです。
 1994年(平成6年)、待望の愛媛県歴史文化博物館が建設され、続いて今年、この宇和文化の里の一角に宇和町先哲(せんてつ)記念館がオープンしました。中町界わいの人出も日増しに多くなりつつあります。昨年度の観光客は2万人を突破するにいたりました。毎年8月6日に行われる宇和文化の里祭りは、宇和れんげ祭りと共に定着し、年を重ねるにしたがって観光客の数も増加の傾向で、明るい兆しがちらほらと見え始めた感じです。これも関係各機関の皆さんの御協力の賜物と、住民一同、深く感謝しているところです。
 しかし、こうしたことに甘んじてはいられません。住民一丸となって、中町の活性化にさらに懸命に頑張っていきたいと思っております。皆さんの御支援を心からお待ちいたしております。大変ありがとうございました。