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わがふるさとと愛媛学Ⅴ ~平成9年度 愛媛学セミナー集録~

◇石の役割

 こんにちは、小田浩成です。
 研究発表というようなことは、私にはできませんが、ただ、石屋に生まれて、今まで石に携わってきて、その中で気づいたこと、石の役割とか石屋の役割というようなことを話させてもらったらということで、ここへ上がっております。
 初めに、石の役割のことなんですけれども、石とは何でしょうかという質問を、だいぶ前にされたことがあります。その答えになるかどうかわかりませんが、歴史を語る時に確かな証拠になれるのは、石ではなかろうかと思います。先程の話にも出てきましたけれども、柱の跡がある場合、その跡は石だから残ってあるのだし、当時をうかがえる、あるいは、その時の文化や生活状態をうかがえるもの、それを残せるのが石ではないか。当時の文化を伝える一つの道具、それが石ではないかなと、そんなふうに思っています。石の役割というのはそれだけではないですけれども、十数年前に、「石とはなんですか。」という質問をされた時に言ったのが、「時の文化を伝える一つの道具ではないでしょうか。」というふうなことでした。
 同じころ、あるセミナーで、「かけた情は水に流し、受けた恩は石に刻め。」という言葉を聞きました。それは私ら石屋にとってみれば、「恩は着せるな。それよりは、忘れてはならないこと、人にしてもらったことは、ちゃんと石に刻んで残しておきなさい。」ということで、まさに石屋のコマーシャルに持ってこいだなと思いました。考えてみれば、未来永劫残したいから、石で、たとえば、だれそれ先生顕彰碑とかを建てたり、この句はいいから句碑として残しましょうとかやっているわけです。あるいは、どこそこに城跡があったらしいが、やはり探してみると、その城壁らしき石垣が残っていたとかいうふうなことで、確かにあったんだなということがわかったりすることが多い。また、長く使うために、木の橋ではなくて石の橋を使うとか、木の臼(うす)ではなくて、石の臼を使うというふうなことを、我々はただなんとなく生活しながらそうしてきているんですけれども、「石って何だろう。」とかいうようなことを考える中で、改めて気づきました。