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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇聞き書きのおもしろさとの出会い

 わたしは、山形県を拠点として東北を旅しながら聞き書きを重ねてきました。そのなかで体験したことの幾つかをお話しいたします。
 今から11、2年前のことです。そのころ、わたしは東京で文筆活動をしていたのですが、山形県最上(もがみ)郡大蔵(おおくら)村で講演をするようにと村役場から依頼を受けました。大蔵村は新庄(しんじょう)市の近く、新庄盆地の南端に位置し、冬には4、5mの雪が積もる所です。わたしが訪ねたのは2月でしたが、バスが大蔵村に近づくにつれて道路の両側の雪の壁が高くなり、ついにはバスの屋根の高さを超えてしまいました。その景色に「うわあ。すごいな。」と驚きながら、村を訪ねました。
 わたしは、そのころは講演などをした経験がありませんでしたから、大変緊張すると同時に何の話をしようかと迷いました。そこで、ちょうどその時に読んでいた『遠野物語』(柳田国男著)の中の「姥棄(うばす)て」の話をしようと思い、『遠野物語』の文庫本を1冊持って、「姥棄て、姥棄て。」とつぶやきながら、緊張して、村役場の人の後に付いて行きました。1軒の民家をお借りして、そこを会場に講演を行いました。会場に到着して戸をガラッと開けますと、薪(まき)ストーブの周りにおばあちゃんが10人くらい座っていました。わたしは、姥棄ての話をしようと固く決意をして行ったのですが、そのおばあちゃんたちの顔を見たら、もう姥棄ての話どころではなくなってしまい、しどろもどろで、とんでもない講演となったことを覚えています。
 その時に、あまり間が持たないので、村役場の人から、「おばあちゃんたちに何か尋ねてくれませんか。」と言われました。わたしはその当時は、他人から改まって話を聞いたことなどありませんでした。もう困ってしまって、こちらが緊張していれば、おばあちゃんたちも緊張してしまいますよね。それで、なんとかしなくてはと、『遠野物語』にカッパの話が出てくるのを思い出し、カッパの話を聞いてみようと思い付きました。「この辺りにカッパの話はありますか。」と聞きますと、「そんなものは、知らん。」と実に冷たく言われてしまいました。都会からやって来たよそ者が偉(えら)そうにしていたりすると、それに対する態度は実に冷たい。これは極めて正しい態度だと思いますね。
 わたしはもっと困ってしまって、またしどろもどろになったのですが、そのうちに、一人のおばあちゃんが助け船を出してくれました。その時のカッパの話が、大変強烈だったのです。そのおばあちゃんが、突然思い詰めたように、「おれはカッパを見たことがある。」と言い出したのです。「えっ。何を言うんだ、このおばあちゃんは。」と思いました。そのまま話を聞くと、自分の家の裏の畑にカッパが立っているのを見た。そして、それは隣の家の男だったと言うのです。つまり、隣の家の男がパンツをはいただけの姿でキュウリを口にくわえて立っていた。あれがカッパだと言うのですね。この話は、わたしにとってはすごく衝撃的でした。つまり彼女は、その人物が隣の家の男だということを知っているのです。知っていながら、カッパだと言うのですね。その時のわたしには、カッパと隣の男という全く違う二つのものがどうして重なり合うのかは理解できなかったのですが、おばあちゃんの語りは非常に衝撃的で、聞き書きのはらはらするようなおもしろさを教えてくれた、そういう体験でした。
 ここからは、わたしが後から考えた解釈ですが、カッパの姿は見方によっては案外扇情的ですよね。それで、そのおばあちゃんは、たぶん若いころのことですから、おそらく無意識のうちに隣の男に対して、性的な感情を持っていたのではないか。その無意識の感情が、パンツ一つでキュウリをくわえて立っているカッパという、うつつとも幻ともつかぬ不思議な情景を見させたのではないかと思うのです。おばあちゃんは、今でも元気にその村でくらしていますが、わたしの記憶には、おばあちゃんが語ったカッパの光景が見事に焼き付いています。