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えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(2)フィルムからデジタルの時代へ

 ア 進歩する写真技術

 「昔のカメラは、今のように自動式ではなく、露出と絞りの調整は自分でやらないといけません。人間の目は順応力があるので、暗いところでも慣れると明るく見えますが、カメラは実際の明るさに応じて調整しないといい写真が撮れないのです。私は長年の経験から、その場の状況を見ると露出計がなくても最適の絞りやシャッタースピードが分かります。昔のカメラは高い経験知が必要とされたのです。
 うちに残っているフィルムで一番古いものは、昭和40年代のものです。それ以前のものは保管場所に困って廃棄しました。この前、アクトピア大洲(平成7年大洲駅近くにオープンしたフジグラン大洲店を中心とする複合商業施設。)で古い写真の展覧会をやりました。昭和40年(1965年)から47年ころの写真を300点くらい展示しましたが、お客さんに大変喜んでもらいました。仕事で撮った写真で、この時代以降のものはたくさんあります。
 昔は昼間に撮影し、夜は暗室に入って自分で現像・プリントをしていました。今は撮影するだけで暗室での作業はなくなりました。われわれプロが撮ったものを専門に現像・プリントするラボ(カラーラボ)というのがあり、フィルムはそこに送っているからです。ラボは松山や大阪にあります。ラボに送るようになったのは昭和40年代後半、カラー写真が普及し始めてからです。白黒写真と違って、カラーは自分では現像できません。カラー写真の現像には劇薬を使うので、取り扱いが困難なのです。それと白黒写真の現像は、暗室といっても特殊な赤茶色のライト(セーフライト)をつけて作業ができますが、カラーの場合は完全に真っ暗でないと作業ができないのです。したがって写真館での現像は、危険なうえ効率も悪く、いい色も出ないのです。
 暗室での作業は修業時代に習いましたが、これも上手下手があります。白黒のプリントは、カメラできちんと撮れていても焼き方によって全然出来上がりが違ってくるのです。暗室での作業はけっこう大変でしたが、ラボに出すようになってからはこれがなくなり、体は楽になりました。しかし写真館の利益率は下がりました。仕事も、夜の暗室作業がなくなったため、昼間だけで終わります。」

 イ デジカメ時代の写真館

 「写真は、銀塩(ぎんえん)(フィルム)の時代からデジタルの時代になって劇的に変わりました。フィルムがいらなくなったわけですから。写真館にとっては、デジタル化により良くなった点と悪くなった点があります。良くなった点は、写してすぐに見ることができるため失敗がなくなりました。フィルムは現像するまできれいに写っているかどうか分からないのです。それとフィルム代がいらないので、いくらでも撮れます。しかしフィルムのほうが写真に味があり、深みがあります。これは素人さんには分かりにくいのですが、デジカメの場合は、手前から奥のほうまで、しっかりピントが合ってきれいに写ります。しかしフィルムの場合は、1か所にピントを合わせたら、手前や奥のほうはぼやけたりします。そのぼやけ具合をうまく使えば、味のある深みのある写真ができると思うのです。これは見方ですから良いか悪いかはわかりません。実際カメラ愛好家はいまだに銀塩カメラを使っている人が多いのです。デジカメになってお客さんは減りました。スタジオで撮影するお客さんの数には影響ないのですが、アクトピア大洲に出しているカメラ店はもろに影響を受け、プリントの量がガクッと減ったのです。デジカメの写真は、家庭でプリントができるからです。
 デジカメも画像のシャープさにおいては、銀塩よりもよくなりました。4、5年前にうちを建て替えた時には、デジカメの使用を想定してスタジオを設計しました。フィルムカメラは窓を大きくとって光を多くスタジオに取り込む必要があるのですが、デジカメの場合、むしろ光が入りすぎると邪魔になるくらいなので、以前より窓を小さくしたのです。
 急速にデジカメが普及してきたのはここ10年くらいの間です。大洲市内の写真愛好家たちも、デジカメとフィルムカメラ両方持っており、被写体によって使い分けているという感じです。デジカメはコントラストがはっきりしてシャープに写りますので風景写真に適しています。しかし人物の肌とか柔らかさを表現するにはフィルムカメラが良いのです。それぞれ一長一短があり、好みにもよります。最近はデジカメの性能がよくなり、デジカメで写した写真かフィルムで写した写真か、なかなか判別できないようになりました。
 デジカメの進歩はめざましいものがあり、フィルムカメラを使う人は今後ますます少なくなってくるでしょう。うちの仕事もデジカメとフィルムカメラを半々くらいで使っています。私はまだフィルムで撮ることが多いのですが、若い人はデジカメが多いようです。これもカメラマンの好みです。
 地域の写真愛好家の数は増えています。私が始めたころはグループも一つくらいしかなかったのですが、今はたくさんのクラブができました。写真愛好家は、うちに現像、プリントの注文に来ても、自分の思い描いたイメージを求めているので、いろいろと注文は多いです。日本人は基本的に写真が好きですから、こういう愛好家がどんどん写真を広めてくれたらよいと思います。特にデジカメになってから広がりをみせています。写真を撮る人は間違いなく増えていると思います。
 県内ほとんどの写真館が加入している愛媛写真家協会というのがあり、年に何回か講師を呼んで勉強会をします。メーカーが新しいカメラや機材を発表したら、この会で展示・説明をします。私も長い間写真をやってきたので、技術を若い人に勉強会のような形で教えています。若い人は、新しい技術を勉強するために、どんどん外に出て勉強会などに参加するように言っています。
 現在うちで写真撮影しているのは、私を入れて4人です。できるだけ若い人に仕事をやらせるようにしています。写真は経験が大切ですから。
 若い人が写真を学ぶ環境は、私が修業していた時代に比べ、ずいぶん恵まれています。まず情報が多いです。インターネットや本で写真を勉強しようとしたら、いくらでも情報があるし、写真学校もたくさんあります。うらやましい限りです。今はデジカメで何枚でも撮影できます。機関銃のようにたくさん撮影して、その中から良いものを選べます。もちろん中には良いものが撮れていますし、そういう考え方もあります。しかし私の時代は1枚1枚が真剣勝負で、写真1枚に対する集中力はすごかったのです。シャッターの瞬間、瞬きして目をつぶったのも分かりましたから。今は目をつぶろうがどうしようがどんどんシャッターを押して、その中から良いものを選ぶというやり方です。確かにたくさん撮るほうが良いものができるのに決まっていますが。
 写真館を長いことやってきて、一番うれしいのは、結婚式に撮影に行って、新郎新婦のご両親から、『私たちの結婚の時も、おたくで写真を撮ってもらいました。』と言われることです。親子2代にわたって結婚式の写真を撮り、子どもができたらまた写真を撮らせてくれる、本当にうれしいです。写真館をやっていて本当に良かったなと思います。
 うちは大洲の中心商店街に位置していますが、商業地域としての機能は、現在東大洲(ひがしおおず)のほうに中心が移っており、こっちはだんだん寂(さび)れてきました。昔からの店も、跡継ぎがいないとか、いろいろな事情で閉めるところが多くなりました。店の数は私が写真館を始めたころよりずいぶん減ったのです。市内のお客さんは、東大洲や松ヶ花(まつがはな)付近の大型店舗に流れているのです。写真館も営業範囲を広げていかないとやっていけない時代になってきました。昔は人口1万人当たり1つの写真館がやっていけるといわれました。しかしデジカメ時代になり、街の写真館は厳しい情勢になっているのです。」
 高い経験知を必要とした写真館の仕事も、技術やデジカメをはじめとする機材の進歩により大きく変化してきている。しかし、レンズ越しに地域の人々の生活や人生を見守ってきた写真館の役割はこれからも変わりはない。