データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の街かど-生活を支えたあの店、あの仕事-(平成21年度)

(3)地域に支えられて

 ア NPO法人岡城館剣友会

 もともと**家の私邸の一部であった岡城館の現在の管理について、次のように話す。

 「<**>家屋が平成16年の台風の被害にあって住めなくなったため、私自身は現在、西条に住んでいます。

 <**>形の上では『NPO法人岡城館剣友会』が、**館長より道場をお借りして運営しています。実際は指導員が鍵をあずかって道場の開閉をし、土日には掃除なども行っています。掃除も修業の一つですから。庭の掃除は保護者の方も一緒になってやっています。保護者会には日曜日の清掃のほか、試合に行くときの車の手配などの協力をお願いしています。昔は保護者会がなく、子どもは一人できていたので、保護者と接する機会はほとんどありませんでした。試合のときも、指導者がマイクロバスなどを借りて子どもを乗せ、自分で運転して行っていたのです。
 岡城館剣友会の前身に岡城館後援会という組織がありました。その時県にNPO法人の申請をしたら、後援組織ではだめで、実際に自分で活動する団体でないとNPO法人の資格は取れないといわれました。そこで、この道場の運営主体を岡城館剣友会としたのです。したがって、岡城館剣友会は後援組織ではなく、**家から道場をお借りして剣道の指導をやっている組織そのものなのです。岡城館剣友会は現在会員が120名くらいおります。会員に会費を払ってもらって道場の維持管理、運営をしています。指導員はもちろん無償です。E家のこの道場は、創設当初からいっさい指導料は取らずに歩んできたのですから。

 <**>門下生がボランティアで、代々次の世代の子どもたちを指導してきたのです。

 <**・**>保護者会費と生徒会費だけは集めています。現在は試合に出るだけでお金がかかります。この道場にかかわることにお金は一切取ってないのですが、対外的な試合のときに必要な交通費や参加料などの費用は集めています。」

 イ 大水害からの復興

 平成16年(2004年)夏にこの地区は大水害に見舞われ、岡城館も大きな被害を受けた(8月18日の台風15号と9月29日の台風21号)。大水害を受けた当時の様子と復興について、次のように話す。

 「<**>災害にあった当初、道場を見て『もうこれはだめだ。』と感じるほどひどい状態でした。しかし、**君や**君、**君ら若い人たちが中心になって、復興のために走り回ってくれました。**君がその復興委員長です。

 <**>大水害のときは、家の前に出たら首まで水に浸(つ)かる状態が8月、9月の2度もありました。自分の家も会社の倉庫もやられている状態でしたので、まずそこから手を付けざるを得ませんでした。水が引いて自分の家や会社の倉庫のめどがついたころに、**君がやってきて、『道場を直したいので災害復興委員長をやってほしい。』と言うのです。当初は、先輩方もたくさんおられるのでどうかとも思いましたが、引き受けることにしました。災害のあった平成16年の暮れくらいに、来年は復興に向けて動こうということになりました。平成17年の4月13日に岡城館後援会(**会長)は、災害復興委員会(**委員長)という組織を立ち上げました。
 そして道場復興に向けての趣旨説明と、募金の目標金額などを委員の方に提示して賛同をいただき、スタートしました。すでに平成16年の災害直後から、**君らを中心に、多くのボランティアの方々の協力により土砂などの撤去が進められていました。

 <**>平成16年の11月には、ボランティアのみなさんによる土砂の撤去は終わっていました。市の社会福祉協議会の人に聞いた話では、社会福祉協議会から来てくれたボランティアの人だけで1,800人、そのほかにも多数来てくれました。災害対策本部があった多喜浜体育館に各地から来たボランティアがいったん集まり、ここで振り分けられ各場所に行ったのです。

 <**>最初は多喜浜公民館に本部がありましたが、さばききれなくなり多喜浜体育館に移ったのです。岡城館にはのべ3,000人くらいのボランティアが来たと思います。多喜浜体育館にあった本部の担当は多喜浜地区だけだったのに、ここから隣の神郷(こうざと)地区にある岡城館に多くの人が派遣されたのは、岡城館が多喜浜塩田の時代から多喜浜地区と切っても切れない関係があったからです。道場の復旧作業はほとんど人海戦術でした。

 <**>まずは修復可能かどうかが問題でした。基礎や骨組みが大丈夫だったので建築屋さんに修復可能と診断され、屋根や床の修復手段を聞きました。後はお金です。門下生、剣道連盟などの協力を得て募金が始まりました。各地域の自治会長も賛同していただき、地域を回ってくれました。

 <**>多喜浜連合自治会、神郷連合自治会、垣生(はぶ)連合自治会、浮島(うきしま)連合自治会などです。私もいろいろ募金活動をしましたが、このときほど気持ちよく協力していただいたことはありません。涙が出ました。これも岡城館の長年の教えのおかげと感動し、教育の力はすごいと思いました。道場の復興をしようと門下生が立ち上がった時に、真っ先に支援してくれたのが地域の人々だったのです。自分の家もやられているのに、岡城館を何とかしようと協力してくれたのです。

 <**>門下生のほか、地域の方々、剣道関係者ほか県内多数の方々から寄付が寄せられました。県外に住む門下生からの寄付もありました。工事を始めたのは平成17年6月ころで、翌18年の正月に落成しました(写真2-3-15参照)。

 <**>道場が修復されるまでの間、約30名の道場生は川東中学校の武道場を使わせてもらいました。当時の校長先生が理解のある方で、『そういう事情なら、修復が終わるまで使ってください。』と言っていただいたのです。
 通った期間の差はありますが、地域の年配の人に聞いたら、ほとんどの人がここの道場に来ていたといいます。それはすごいことだと思います。

 <**>地域の方のご支援で道場が復興できたということで、現在は道場を剣道の稽古だけでなく、地域住民に開放して、交流の場として使っていただいています。

 <**>地域の人が催し物か何かで使いたいという申し出があれば、無料でお貸ししているのです。みんなで使い、支え、守っていっているのです 。これは昔からの伝統です。いろいろなところで言われるのですが、地域の人たちにとって、ここは心のふるさとのようなものではないでしょうか。」

 地域とともに歩んだ岡城館二百年の歴史は、人間関係が希薄になりつつある現代の地域社会において、地域コミュニティーの理想的なあり方を実践しているのではなかろうか。

写真2-3-15 現在の岡城館

写真2-3-15 現在の岡城館

新居浜市郷。平成21年9月撮影