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県境山間部の生活文化(平成5年度)

(6)山村留学生がもたらしたもの

 ア 村に戻ったにぎわい

 山村留学制度によって広田村にもたらされた恩恵について尋ねると、異口同音に言われることは、①地域の文化の象徴で、伝統ある「高市小学校」がつぶれずに存続したこと、②子供たちの声が響くようになり、村ににぎわいが戻った、ということである。
 10月24日は秋祭り。センターの先生が樽(たる)を使って、それまでなかった子供みこしを作り、留学生の子供たちがかついで歩き、地元の人たちは久しぶりの祭のにぎわいを味わうことができたという。特に感激されたのは、一昨年までは子供がいないために途絶えていた、「舎儀利(しゃぎり)」と呼ばれる伝統行事の復活である。この行事は、少なくとも男の子が6人以上必要で、ひょっとこ、動物、猿などいろいろなお面をかぶって行列する祭りである。高市らしい祭の復活によって、地元の人々はかつてのにぎわいを、記憶の彼方(かなた)から呼び戻すことができた。
 また、子供の留学がきっかけで広田村に引っ越して来た人もいると聞いた。親御さんの職場は村外だが、ここから通勤しているという。全国的に見ても、最近は過疎化対策として山村留学制度を取り入れるところが増えているというが、広田村では、まずは、順調なスタートと言えるようだ。

 イ 地図にない県境を超えて

 子供たちの感想の中にも「いろんな県の人と友達になれた」という声が多く聞かれたが、山村留学をきっかけにして、「地図にない県境」を超えた新たな交流が始まっている。留学生の子供はもちろん、その親同志の間でも行き来がみられるようになり、長期休暇前後の送り迎えの際などに相互の家庭を訪問したり、一緒にキャンプや旅行に出かける家族もあるようだ。
 **さんや**さんのうちでも、同じように、留学生の家庭との交流が始まったという。**さんは、交流の広がりについて次のように語る。

 うちは、特に子供さんをあずがっておるわけではないのじゃが。山ヘタケノコ掘りに招いたりしたからでしょうか、子供が、手紙とかで親に言うんでしょうな。
 地域の人が一体となって子供たちを受け入れとるのじゃから、自分の子供と同じように心を向けておればいいんだと思うんですよ。川崎先生みたいな人だって、今来とる留学生の中におらんとは言えんし。「高市がよかった。」という印象を持たれるように心掛けるのは簡単なことです。自分がこうしてもろたらええなあと思うことを、人に対してもすればええんですから。よかったと思てもらうのは、高市という場所ではなくて、人間対人間の関係じゃと思います。交流の中でも、そういう意味でありがたいと感じるものを大切にしたいと思います。

 **さんは、「地図にない県境」を超えて交流の輪が広がっていく中で、将来をにらんで次のように語る。

 高市という地域の人たちは、本当に久しぶりに村に活気が戻ったことを喜んでくれています。おかげで、留学生の子供にもその親御さんにも、「留学してよかった。」と言ってもらい、去年卒業していった子などは、今年の夏休みを利用して、ここを訪れています。やはり、単に自然がすばらしいとかいうことではなく、地元の皆さんの、心のこもった支えによって、成り立っているんだと思います。
 2年目が過ぎ、子供たちの声が響くのが「当たり前」になって、やがて「うるさい」と感じるようになったときにでも、「今のまま」を維持してもらえたら思います。留学生のにぎやかさは同じでも、来ている子供の顔ぶれは違っています。留学制度が何年目であっても、その子にとってはその時が「留学生1年目」なのです。

 理想を言えば、高市小学校の「平成○年度学校要覧」から、「児童の出身地」の欄が消え、地元の子供だけで学校が存続できるのがいいのかも知れない。しかし、廃校寸前という逆境をバネにして、「地図にない県境」という人の交流ルートを手にしたのだから、村の人間味あふれる温かさを生かして、単に経済的な指標ではとらえることのできないすばらしさを、地域の財産として、育てていって欲しい。