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身近な「地域のたからもの」発見-県民のための地域学入門-(平成22年度)

(1)写真から読み解く地域のすがた①

 ア 新居浜市前田町周辺

 新居浜市にはかつて住友の膨大(ぼうだい)な社宅群があり、昭和42年(1967年)には全体で5,127戸217室の住宅や寮・アパートが集中的に存在していた。
 前田社宅が建設されるのは昭和11年(1936年)からだが、この地は王子川河口に近いため、昭和初期まで、すねまで浸(つ)かるような低湿地や湿田が広がっていた。昭和11年に別子鉱山鉄道新居浜港線(星越駅~新居浜港駅、社宅群の右側の道路沿い)が開通した後、鉄道の線路を土手として王子川流域の湿地帯を埋め立て宅地の造成が進められた。埋め立てには大正14年(1925年)に星越町に開設された新居浜選鉱場の廃棄物である尾鉱(びこう)(鉱石を選鉱して有用鉱物を採った残りの廃石)を利用し、その上部に赤土を搬入することで進められた。
 前田社宅の多くは昭和16年から20年にかけて建設され、戦後も引き続き建設が進められた。昭和46年(1971年)には478戸の社宅があったが、昭和47年の産業道路(平和通り)建設や老朽化のための撤去により、昭和61年には347戸に減少し、空き家が目立つようになった。
 平成2年(1990年)のリーガロイヤルホテル新居浜、リーガアクアガーデン(平成18年営業終了、跡地はイオン新居浜の増床棟建設。)の開業にともない、平和通りの南側と水源地の間、水源地の西側及び南側部分の社宅は撤去され、ホテルや関連施設、駐車場に変わった。平成9年(1997年)には王子川の西側と病院前交差点の間が撤去され、駐車場に変わったが、前田郵便局の東側や平和通りの北側には社宅が残っていた。  
 平成13年6月「イオン新居浜ショッピングセンター(敷地面積約11万m²、店舗面積42,004m²で、当時は県下最大の大型複合商業施設であった。)」の開店にともない、前田郵便局の東側に残っていた社宅が撤去された。その結果、平和通り南側にあった社宅はすべてなくなり、ショッピングとレジャーの大集積地域へと変わった。最後まで残っていた平和通り北側の社宅も順次撤去され、平成19年(2007年)複合商業施設「フォレオ新居浜」の開店にともない前田社宅は完全に姿を消した。
 昭和の時代に人々の生活の舞台であった社宅は、平成に入ってホテルやショッピングセンターへと大きく変貌(へんぼう)した(写真2-4-2参照)。


写真2-4-2 前田社宅跡地の変貌

写真2-4-2 前田社宅跡地の変貌

新居浜市前田町。平成22年10月撮影