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河川流域の生活文化(平成6年度)

(3)カニ取り名人

 **さん(周桑郡丹原町志川 昭和14年生まれ 55歳)
 **さんは、現在長兄の経営する食堂で働くとともに、家では奥さんと農業もやり、一方で木材の買い付け販売もする活動家である。その傍らカニ漁の解禁ともなると、中山川の支流鞍瀬(くらせ)渓谷でカニ取り名人としての本領を発揮する。**さんは旧桜樹(さくらぎ)村で生まれ、地元の鞍瀬小学校から桜樹(さくらぎ)中学校を昭和29年(1954年)に卒業した。28歳までは鞍瀬で生活した。当時は母親が衣料品の販売をしていた関係から、今治や大阪から仕入れた衣料品を、近辺の山間地を回って行商する生活をしていた。昭和39年(1964年)に結婚し、住居を丹原町志川に移した。

 ア カニ漁の場所と方法

 **さんの生まれた所は鞍瀬である。松山から車で入れば、国道11号が桜三里から丹原町湯谷口(ゆやぐち)に至る途中に、明河(みようが)の道路標識が出ている信号がある。その信号を右折して中山川の支流沿いにのぼっていくと鞍瀬渓谷である。今でも上流では川の水をそのまま飲むこともできるし、夏は川が自然のプールとなり、秋はまた紅葉が美しい(写真1-2-9参照)。
 この鞍瀬が**さんのカニ漁の場所である。**さんがカニ漁を始めたのは中学校を卒業してからである。村の磐根(いわね)神社の秋祭りが10月24日、25日(現在は10月10日)に行われる。祭りには他所(よそ)に出ている親せきの人が大勢帰ってきていた。祭りの料理の中に川ガニも加えられていた。
 秋祭りには青年団の若者たちによって、やっこ踊りの行列がある。若者たちは祭りの1ヶ月ほど前から、毎晩やっこ踊りの練習をするため神社に集まっていた。**さんの集落は神社と川を隔てていたが、当時は神社へ行く橋はなく、向こう岸に行くには、川の石の上に丸太を渡していて、その上を渡っていた。帰りに川を渡る時、電灯の明かりで丸太の下の川の中に力二や小魚が見える。それを先輩たちと一緒に取ったのが力二取りの始めであった。
 そのころはたいまつをつけて取っていた。2時間くらい川を歩くと、ドンゴロスに一杯になるほど取ったこともある。大人で本格的にカニを取る人はガス灯で取っていた。当時**さんのところではたいまつはいくらでもあった。たいまつのない人は青竹の節に穴を抜いて、その中に灯油を入れ、竹筒の中に布を詰めて逆にする。布に灯油が染み込み、それをたいまつ代わりにする人もいた。そのうちにガスランプの良いものが出回りはじめた。そのころはカニを取るとは言わず、拾いに行くと言っていた。
 昔は明かりをつけてカニを拾うだけのものであったが15年ほど前から力二を取る道具として力二ぐらが使用され始めた。
 カニぐらとは、力二かごのことで、大きさは縦70cm、横50cm、高さ18cmの網かごである。その中にカニの餌となる魚のアラを入れる。カニは夜行性であるので、夕刻に要所、要所にカニぐらを仕掛けておく。力二ぐらにはひもを付け、ひもの端を岩場に縛り付けてかごが流されないようにしておく。かごの中には漁業協同組合発行の所有者の名前を書いた鑑札を付けている。組合では組合員には力二ぐらを20個まで、組合員でない入漁者は3個までと規制している。**さんは20個のカニぐらを所有しているが、実際に川に仕掛けるのは10個程度である。夕刻仕掛けた力二ぐらは早朝に引き上げに行く。
 9月1日にカニ漁が解禁になり、10月末までの2か月が力二漁の最盛期である。10個のかごによく取れる時は小さい力二を含めると50匹から60匹入っている。**さんは甲羅の小さい力二は逃がして取らないから、一晩に10匹ほどしか取れない。中山川の下流へ行けば、今でも一つのカニぐらに100匹近く入っていることもあるが、カニが小さいことと、カニが汚れているので**さんは取らない。
 **さんの長年の経験から、カニがよく取れる時は、天気の状況から見て、雨がしょぼしょぼ降っている時が良い。降り方が強いのも良くない。水量が減って流れが一定になると石に藻やコケが付きやすいし、川も汚れてくる。ある程度、水が出て川の汚れを洗い流して、次に水量が減ってきたころの雨がしょぼしょぼ降るような時が良い。それと闇夜(やみよ)の時は、力二が巣穴から出てきて一番よく活動する。
 カニはヘビとかハメを好物にして食べると聞いているが、カエルも食べるし、秋になると熟した柿も食べている。**さんは、食堂をしている関係から魚市場の競りに参加する資格もあるので、カニぐらに入れる餌(えさ)の魚は、魚市場から安い魚を買っている。
 カニぐらを上げに行くのは朝早いほどよい。長年の観察や経験から、力二は夜の9時から12時くらいまでに入っていて、それを過ぎると入らないのではないか。ただし、天気が悪く暗い日には昼でも入ることがある。最盛期になるとカニぐらを盗む者が出てくる。**さんは中山川漁協の地区総代をしていて、漁区の監視員であるので、夜中に通報を受けて現場へ急行するが、なかなか捕まらない。かごの中の力二だけを取り出して盗むのではなく、かごごととっていく不心得者もいる。
 力二が少なくなったと言うが、川には力二はたくさんいる。小さいカニまで取ってしまうため、大きく成長する力二が少なくなったのだ。山に入ると小さな谷にはカニが多くいる。今年(平成6年)の9月28日の台風の際、単車で志川を走っていると、高速道路(この時点では未開通、開通は11月16日である)の上に大きなカニがはい上がっていた。その時7匹を拾って帰ってきた。力二がはい上がっていたところは小さな谷のある場所であった。
 カニの産卵時期ははっきりと分からないが、2月から3月ではないか。「9月のくずれガニ」と言って上流から下流に産卵のため下ってくる。4月から5月に稚ガ二が上流に上がってくる。カニは脱皮を繰り返しながら成長していく。今年は異常干ばつで、水の流れが途中で切れたため、上流に上がってくるのを阻止された状態になった。来年以後の力二漁がどうなるかが心配である。

 イ カニ取り名人と言われるゆえん

 なぜカニ取り名人なのか、という質問に対して**さんは、「自分では力二取り名人だなど思っていない。人が勝手にそう呼んでいるにすぎない。あえて力二取り名人と言われるとすれば、まず第一に子供のころから力二漁を続けてきたこと。鞍瀬の川であれば、目をつぶっていても、川の瀬や曲がり、石の配列まで浮かんでくる程、鞍瀬の川に通じていること。カニがどこに巣穴を持ち、どこに仕掛ければ取れるかを知っている。
 第二に私か取る力二は甲羅が10cm、つめを伸ばせば25cmになるくらいのカニしか取らない。今までに取った力二で最大のものは、つめを伸ばして40cmもあったものがある。
 第三は取った力二をすぐに食べるのでなく、食堂の裏に池を作って蓄養している。池の中に箱の生けすを作って飼っている。これは食堂に来る人で力二の注文があれば提供するためでもあるが、人は箱の中に飼っているカニの大きいのを見て驚いている。9月、10月に取ったカニを11月から翌年の節分くらいまで飼っておく。魚市場で白身の魚を買ってきて力二の餌にしている。大きさは取った時と余り変化はないが、餌を与えているので3割は重量が増えている。今まで一途に力二漁一本でやってきた。これは仕事の関係で、カニ漁は仕事に左右されずに漁ができるからでもある。」との答えであった。
 「食堂をやっているので、カニ料理の注文があればそれにも応じている。カニめし、カニ汁、力二のから揚げ、カニの塩ゆで、力二の甲羅酒などである。力二の本当の味は11月に入らないと出てこない。一番おいしいのは節分のころの力二である。力二料理の中で、わたしの一番の自慢は力二汁である。残酷のようであるが、生のカニを石うすに入れ、ケヤキで作った棒で細かく突き砕き、ミンチ状にする。それを布に包んで強く絞り、液をとり出す。ミキサーでは水を加えないと砕けないし、それでは水くさくて力二汁とは言えない。わたしの作るカニ汁は中に何も入れない。力二の量が多いほど、汁の上に卵をといた玉水(ぎょくすい)のように力二の脂の厚みが浮く。一度味わえばやみつきになる程おいしい。」という話であった。
 **さんは力二漁以外にも、ヤマイモ掘りの名人でもある。子供のころから鞍瀬の山や川を自分の遊び場として育った。成人してからは、衣服の行商で山間地を回り、今は木材の買い付けで山を歩く。冬山に雪が降っても、ヤマイモの葉や茎がなくなっても、イモの場所や成長の度合が分かるという。お宅には1.6mもある1本のヤマイモを掘り出して、記念のため奥さんがそのヤマイモを持った写真がある。山を愛し、川を愛し、自然を愛する**さんの、カ二名人といわれるゆえんが分かるような気がした次第である。

写真1-2-9 美しい自然が残っている鞍瀬渓谷

写真1-2-9 美しい自然が残っている鞍瀬渓谷

平成6年11月撮影