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河川流域の生活文化(平成6年度)

第2節 橋と谷筋がむすぶくらし

 大河川は、河川交通により人々の交流を促進したが、対岸との交通を遮る障害ともなり、地域の人々は架橋や渡し舟により川を渡ることに多大の労力を払ってきた。一方で、山間から本流に流れ込む支流は、山間に多くの谷筋を形成して独自の小世界を形づくってきた。合併以前の戦前の町村区画と肱川との関係を見ると、本流域では川を挟むことが多いが、支流域では源流から合流点までで1村を形成することが多いことがわかる。本流域に川を挟んだ町村が多かったのは、背後に山が迫っていることから、対岸に農地を持って耕作するためと、商工業の中心地を核として対岸も含めた生活圏が形成されていたためであろう。また、支流域では、ある程度長大な支流の川筋・谷筋ごとに独自の生活圏が存在していたことを、うかがわせる。
 そこで本節では、河川流域の人々のくらしや交通・交流を大きく規定してきた、橋と谷筋に焦点を当て、それにかかわる生活文化を明らかにしようとした。「1 橋がむすぶくらし」では、肱川の中・下流に架かる100m以上の長大橋について、架橋に至るまでの地域の人々の苦労や、橋と生活文化とのかかわりを中心に記した。「2 谷筋にかかる橋」では、全国的にも珍しい屋根付き橋や、児童生徒が県境の橋を渡って通学する小中学校を持つ3地域について、谷筋の生活文化と橋とのかかわりを中心に調査した。「3 谷筋がむすぶくらし」では、一つの支流域で1村を形成していた旧渓筋(たにすじ)村・愛治(あいじ)村・満穂(みつほ)村について、川筋・谷筋沿いに形成された独自の生活文化を明らかにしようとした。本節では、肱川、四万十川流域を中心に、広範囲の地域を扱い、内容も多岐にわたっているが、川がむすぶ交通・交流に特に焦点を当て、共通の調査内容により、河川流域の生活文化の共通性と、各地域における独自性を把握できるよう努めた。