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河川流域の生活文化(平成6年度)

(1)渓筋(たにすじ)が流した水は、下流の人々の飲料水に

 **さん(東宇和郡野村町旭   昭和17年生まれ 52歳)
 **さん(東宇和郡野村町鳥鹿野 昭和24年生まれ 45歳)
 東西に長い野村町の西部(白髭(しらひげ)地区)に端を発する稲生(いのう)川(口絵参照)は、10kmほど南下したあたりで宇和川と合流し、野村ダム(朝霧湖)に流れ込む。この稲生川に沿って南北に点在するいくつかの集落が旧渓筋村にあたり、昭和30年(1955年)の町村合併で今日の野村町になってからも、地元では総じて「渓筋」と呼んでいる。この渓筋に、生活排水の浄化に熱心に取り組んでいる女性たちがいると聞き、訪ねた。

 ア 原点は子供のころの川

 ** 田んぼの土をいっぱい体につけて、川まで走ってドボーンと飛び込んだら本当にきれいになるでしよ。それを喜んで、
   大きな田んぼのへりから飛び込んだり。昔はようウナギとかツガニとかをな、潜っては取ったりしよったね。やっぱり男
   の子が多かった。

 ** 女の子はわりと道具持ってない。男の子は持ってるんですけど、女の子としては、こわかったのが先。

 ** そうそう、ヤス。今ではいなくなった生物も多いですよ。おなかの赤いハヤもおったろう。小さいころは、よう釣って
   きてもろて食べよったんですけど。ホタルがいっぱいやった。それにシジミ。田んぼの赤土で堰(せ)いた井手(溝)に川
   の砂利がす一っと流れ込んできて、その砂利の中に、こっから先(小指の先)くらいのがいっぱいいて、みそ汁に入れて
   いたが、今は全然いない。カニも、雨でも降ったら、小川が赤うなるほどおりましたが、今はそんなにおりません。川の
   深い所、浅い所も、なくなってしまったですね。

 ** 昔から、男子しか泳いだらいかん所とかが、あったんです。四郎谷のニコンフチという所。今はもうないですけど、大
   きな岩があって、岩の下まで穴が開いとって、すごい深さがあって、川底へすーっと入り込んじゃいそう。流れも速いで
   すし。そこは「上級生しか行ったらいけんぞ、あんたらはこっちで泳げ。」って言われとったのに、わたしは、浅い所で
   潜る練習して、それからちょっと行ったんよ。そしたら溺れそうになって、助けてもらったけど。
    子供の世界でもルールがあって、自然に、上級生が下級生の面倒をみたり守ったりしていた。近所の中学生のおねえさ
   んに、「〇〇ねえちゃん、耳に水が入った。」言うたら、「あすこの石、温(ぬく)いけん、こうやって頭つけて、いっと
   き寝とけえ。」って。温まった石をこうして耳にやると、水がちょろっと(出てくる)。そういう教えが今は伝わらない
   んですねえ。
    大水が出るということで、川も三面張りのバーッとした川に、だんだん変わる。地元の人も「おお、きれいになったの
   う。」という感じだった。水生生物との関係も考えていなかった。それで、昔のような川を取り戻したいということが、
   原点にあると思います。

 イ 自分の生命、子供の生命が大事という感覚

 **さんに、渓筋地区の婦人会会長を引き受けた当時のことを振り返ってもらった。
 「それまでの婦人会の活動は、公民館のほうで年間の活動のテーマなどが決められていたんですが、『自分たちが話したいテーマを探してやろう!』ということで、平成元年に『油を川に流さない-せっけん作り-』から始めました。身近な題材を取り上げると、みんなからいろんな話が出て、翌平成2年には、ゴミの問題を取り上げて、**さんもせっけんに詳しいんで問題提起をし、記録・司会もすべて渓筋の者たちで分科会をやったんです。意見が出るわ出るわ、もう本当に盛り上がった。町長さんも、『今日のは本当に面白そうやから…』と言って、最後まで聞いてくださいました。それまでにも、小さいグループでせっけん作りをするなど、個人的に取り組んでいる人はあちこちにいたけど、ちゃんとした形になり始めたのは、ちょうどそのころです。」
 **さんとともに活動している**さんに、活動の動機を話してもらった。
 「食品添加物や生活排水のことについて、子供ができるまでは何とも思わなかったんですが、子供ができてからは、健康な子供を産みたい、育てたいという考えから、関心を持つようになりました。ちょうどそのころ、(野村)ダムの水が2市8町に使われるということで、『(渓筋は)ダムに流れ込む町内唯一の上流地域だから、ダムの水を飲む人のことを考えて生活したらどうじゃろう。』ということを地域の人たちに提案したんです。
 この辺は、海の魚がおいしいんです。八幡浜から、お魚屋さんが仕入れて、すごく新鮮なイワシとかアジとか、刺身で食べられるようなのが入ってくる。そういうのは、結局こちらから流した水が海に流れて、そこで取れる魚を、わたしたちがいただくわけですよね。それで、『水を汚さないようにせっけんを使おう。』と呼び掛けていきました。
 マスコミでも、地球環境問題についていろいろと取り上げられて耳にもしていたし、自分たちでこつこつと気を付けるしかないなという気持ちがあって、わりとみんな、がっちりとした意識を持っていました。」

 ウ 主な活動

 (ア)水生昆虫調査

 「川について、こお(狭い視野で硬いことばかり言う)じゃなくて、みんなが童心に帰って、楽しみながらやろう。」ということで、環境委員会の会員が水生昆虫調査を続けている。川を調べ始めたころは、物珍しそうに見られたこともあったが、最近は、好意的に「またやりよるの。」と声をかけられる。ある時、「幼虫はわかるが、これはどがいな成虫になるんぞ?」と聞かれた。その時初めて「あー、そうか。」と気付いた。自分たちだけではなく、周りの人々に関心を持ってもらうためには、こんな視点も必要だということで、図書館へ行って写真をコピーしてパネルにしたそうだ。
 「活動を続けていく上での障害はわりとない。みんな前だけ見とるし、『出る杭は打たれるけど、出過ぎる杭は打たれません。』という仲間の言葉が励みだ。一人じゃないから人の目は気にならなかった。むしろ、調査の名目で白昼堂々と川で遊べて、気持ちいい。けっこう楽しみながらやっており、テイレギ(アブラナ科、和名はオオバタネツケバナ)を見付けると、今晩のおかずに取って帰ったりする。わたしらの信条は、『家庭を放ったらかしてまではやらない。家庭は絶対大事。』ということで、調査の日にちも、変更に変更を重ねて、皆が出られる日を選ぶようにしている。」

 (イ)川まつり

 子供たちにも川に親しんでもらうために、公民館の活動として川まつりを開催している。午前中は、水生生物の調査。昼食は150人分のカレーを用意し、午後は川をせいて、その中にウナギとかアユを入れて、魚つかみ大会。最初小さい子(幼児・低学年)を入れ、大人はまわりで見守る。次に高学年が、自由につかみ取りをし、それを料理して食べさせる。石に番号を書いて川の中に投げる宝探しゲームもする。
 野村町が町内外の子供を対象に行っているアドベンチャースクールや、県外の子供を対象に行っているふるさと探検隊の子供たちを招いて、地元の子供が一緒に川に入ると、予想外の効果がある。各家庭に一晩泊まったよその子供の、「自分たちの近くの川は、(排水路・ドブ川みたいで)じゃぶじゃぶできない。」といった感想を聞いて、渓筋の子供たちが自分たちの川を見直した。それまで川から離れていたのに、感化を受けた子供たちは川に入るようになった。

 (ウ)EM菌による生ゴミ処理の普及

 「今は、家庭の台所の生ゴミなんかも全部ボカシ(EM菌)でね、肥料化して土に返すんです。その処理の仕方の講習会を開いてくれということで、町内のあちこちに行っているんです。わたしたちが、それぞれの里や兄弟のいるとこから始めたのが、わりと広がって。今でも、『こないだ作ったのどうなった。』とか、こまめに声かけながら、惣川(そうがわ)に行ったり横林(よこばやし)に行ったり、ずっと回るんです。いつまでもわたしらが動くのもどうかと思うんですけど、動きやすいし、そのほうが広がるかと思って、そういう形にしとるんですよ。」

 (エ)会報『水すまし』

 「川の調査結果の詳しいデータや、どうしてボカシがいいのかということ、浄化槽を上手に使うこと、川を汚さないために自分たちにできること、そういうものを載せて、全戸配布するんですよね。用紙代・印刷代の費用は、今のところは町の補助で、出せているんですけれども。編集なんかは、みんながボランティア的にやっています。」

 エ 川はきれいになりましたか

 ** 見た目はどんどんきれいになりよる。前よりはいい、魚も少しは入れるし。少しは違うと思うんですけど。
    昔は、魚のアラなんかも川へ捨てていたけど、昔の川はそれが許されていた。それと同じ感覚で、ビニール袋に空き缶
   なんか入れてガガーッと捨てる人が、渓筋にもおりましたよ。子供が捨てるのを見掛けたら、よその子でも「ちょっとそ
   この〇〇、何捨てたの。捨てたら川が汚れるから、拾てきなさい。」って、一緒に川へ入って拾たりしたこともあったん
   ですけど。自然に減ったですねえ。今は、川へ捨てる人がないなあ。
    わたしとこの田んぼは川端にあるんです。一時(いっとき)の間は、大水が出たら、発泡スチロールとか地下(じか)足袋
   とか歯ブラシとか畦(あぜ)シートとかが、入ってきておったんです。そういうものが全然流れてこんようになったのは、
   それだけ渓筋の人の意識が高まっていったんやないかと思います。
    最近は渓筋の道がよくなったので、(大洲方面への)近道として通り抜けていく人が多くなった。きれいに植えた田
   んぼヘパーンと空き缶捨てたり、せっかく地域の人の意識が高くなってきて、川や自然を守ろうとしている中で、踏みに
   じるような行為が見られる。そういうふうに捨てるのは、たぶん町外の人やろうと思うんです。
    見た目できれいにしようとする人たち、わたしたちみたいに水そのものがきれいになってもらいたいと働きかける者、
   漁協の人たちは魚のすめる川にというふうにいろいろな立場の人がいますが、とにかくいろんなことを地域の人が話すで
   しょ。そしたらみんなが川をのぞく。そういう点で、だいぶ意識の高まりができたと思います。
    「あの人ら、視野が狭いけん。」って言われないように、みんなの意見も聞きながらやっていこうということは話し合
   うんですよ。わたしたちのグループだけいうんじゃなくて、いろんな人からいいとこはいただいて、皆さんに共にわけて
   いくような大きな気持ちでいこうと思っています。

 ** 始めたころに感じた周りの空気が、今のようになるまでに10年くらいたってます。それ考えたら、これから先のこと
   もな、ゆっくりと。みんなに、「やって、やって。」と強制するんじゃなしに、自分がやってて気が付いたらみんなが
   やっていたというのが、自然ではないかと考えています。**さん、**さんと3人が寄るといろいろ言うんですけど、
   「結局は、母親が子育てする時の教育が大事やなあ。」って思います。