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河川流域の生活文化(平成6年度)

(1)中山のホタル

 **さん(伊予郡中山町中山 昭和23年生まれ 46歳)
 **さん(伊予郡中山町出渕 昭和6年生まれ 63歳)

 ア ホタルに取り組むまで

 **さんは、高校を出てから、大阪で6年、松山で8年ほど過ごした後、中山に戻った。
 「中山に戻ったときの川は、汚れてました。友達がアユ取りの網を持ってるもんですから、アユを取りに行ったんです。中山川は、川底に石がだいぶありますから、網をバサッと打ったあと押さえとかないと、アユが逃げてしまうので、ドボンと潜ってアユ自体を押さえに行くんです。その時、川底の汚れがウォーツと盛り上がりますから、汚れをよけいに実感する。自然発生のアユじゃないですし、川が汚れて水ゴケが石に付きませんから、おいしくないと思います。とても食べられないねえ。
 子供のころは、役場の下の川でも、ドンコとか、ウナギ、ハヤ、ショウハチ、そういうものが十分取れてたし、カジカ(カエル)が鳴いてたねえ。もちろんホタルなんから、ここらもう全部飛んでたわけですよ。
 ホタルに取り組むようになったのは、大分県で『一村一品運動』(昭和54年に提唱(⑦))が始まってしばらくしてのこと(昭和61年)でした。大分県から講演においでたのを聞いて、『大分でできるのに、わしらにも、何かできんことぁなかろか。』という感じをいだいたんです。ちょうど、この公民館で、5人以上のグループを作って何ぞやろうという『むらおこし1355運動』が始まって、町長から、一杯飲みながらの席で、『おい、**よ。お前ら何かしてみんか。』という話が出たのがきっかけです。
 僕らも自分の商売がありますから、余分にできることからやらないけんが、さあ、何するかいうて、ふと気が付くと、中山川にホタルが飛んでないわけなんですよ。なんとか復活させないかんということで、やり始めた。そのときは『ホタル保存会』じゃなくって、『中山町むらおこし実行委員会』っていう会で、ホタルとクリの2本立てで宣伝しようじゃないかということで、始めたわけです。
 それまで、ホタルの飼育の経験は全然ないです。その時に、佐礼谷(されだに)小学校に理科の教頭先生が来られたんです。松山の県立博物館においでた先生で、一緒に日浦(ひうら)中学校(松山市)へも見に行ったんです。日浦中学校で作ってるホタルの養殖小屋、あの時に聞いたんが、120~130万(円)かけて、養殖場を作ってるんですね。
 『100万も出したら、こたわへんやん。ほんなもん、できるわけないやん。自腹切ってまで。』ということで、今度は、『大洲のおいさんが、ホタル飼いよる。』いうのを聞いてね、夜、一升瓶下げて行ったんです。ほんなら、まあ、すごいことホタルが飛んでるわけですよ。『あっ、これはすごい。中山もこれくらいは飛ばさないけん。』ということで、『おいさん、教えてや。どんなんして、飼いよんねん。』言うたら、どんぶり鉢でホタルの幼虫を見せてくれながら、『水槽一つあったら飼えるやないか。』と言われる。『100万もかけんでも、これならできるわ。』いうんで、うちへ帰ってすぐ、廊下に場所を取って、ホタルの養殖する装置を作って、そこでやり始めたんです。これがそもそものホタルの始まりです。
 タイミングよく、佐礼谷小学校と同時に養殖を始めたんですけども、一緒にホタルをやっていた先生がいてくれたので、おかげで失敗がなかったですねえ。僕もこういう性分ですので、やり始めたら、3日にあげず学校に行って、『先生。こうこうなっとんやが、これは、どないになっとんやねん。』って、聞くもんだから、先生も困ったと思います。まあ、先生には、今でも大事にしてもらっていますけどね。」

 イ 「ホタル祭り」にホタルがおらん

 「昔は、涼みがてらに夜ちょっと出ていくこともあったけど、僕らが始めたころは、中山の人でも、ホタルを見てないんですよ。ホタルはいるもんだと思ってはいるけどね。しかし、実際のところは、周辺に行って、ほんと、チラリホラリでしたねえ。
 それで僕らは、1年間勉強しながらホタルを飼育して、次の年から『ホタル祭り』をやろうと計画を立てておった矢先、『ホタル祭り』が新聞に出て、やめるわけにいかんなったんです。
 お客さんを河川に入れるわけにはいきませんので、特産品センターにホタルの観賞小屋を作って、そこでホタルを見てもらおうということで、やり始めたんですけども、小屋の両脇に入れるホタルが確保できませんでした。会員が夜、中山じゅうの川を走り回っても、いなかったんです。焦ったてて、もうとてもじゃないですけど、中止にせないけんやないか言うくらいに、ホタルがおらん。そいで、その日にザーザーザーザー、大雨が降って中止になったので、その時はなんとかよかったんです。
 それで、次の年(昭和62年)からホタル祭りを始めたんですけど、『これは大変やで。ホタルなんか全然飛んでないが、なんとかせないかんで。』ということで、佐礼谷小学校の先生と僕らメンバーとで、放流の繰り返しです。ところが次の年も、実際やろうと思うと、天候の変化で、ホタルが出てこない。それでも、前の日にパッとたまたま出てきたのを押さえただけで、なんとか切り抜けました。」

 ウ 飼育開始

 「飼育は、雌のホタルを捕獲するところから始めます。いつも雌の数を把握していくんですけど、やり始めたときには、雌のホタルを50匹取ろうと思ったら1週間かかったんです。今現在、雌1,000匹を、だいたい2日で取れます。雄は飛んでますから、取るのは簡単なんですが、雌は、草むらの中にじっと止まってます。それに、マムシもいる時期ですし。
 自然界では、雌1匹がだいたい800~1,000個の卵を産むんですけれども、捕獲するのが1日遅れたら、既に産卵してますから、1匹だいたい500の計算で推計するんです。
 放流数は、一番初めが、学校の先生と両方でやって7万匹じゃったです。それから、年々15~20万匹でずっと増えてきましたから。今年は雌1,000匹ですから、まあ40万匹くらいでしょうか。
 養殖は簡単にできるんです。雌と雄のホタルをカゴに入れましてね、上からガーゼを吊るします。ホタルは上へ上へと上がる習性がありますから。すると、そのガーゼに0.5mmくらいの黄色い卵を産むんです。産卵は、6月20日過ぎ、1匹の雌で500くらい。ガーゼを取り出して、イチゴを売っているようなビニールパックに入れて、乾燥しないように毎日毎日霧吹きで湿してやります。カゴの中のガーゼには毎日卵が産み付けられますから、この作業がしばらく続き、パックの数も100近くになります。室温であんまり直射日光の入らない所に、乾燥しないように積み上げとくわけです。
 卵からは100%かえります。1か月すると、黄色い卵がまっ黒になるんです。丸まってた幼虫が、ぱっと開いた状態(0.5~1mm)です。その時点で、水を入れた衣装ケース(10個くらい)に網を張り、その上にガーゼを(上下逆さまに)置いておくと、幼虫が順番に下に落ちてきます。ケースの水にはエアレーションをしておきます。浄化槽に使うポンプに細いホースを差して、引っ張ってやっとるんです。
 このころに大変なのが、水替えと、餌(えさ)のカワニナ取りです。水は、2日に1回くらい、細いホースで、サイホンでチョロチョロ抜いていく。30℃以上に上がるといけませんので、日陰になる廊下に順番に並べとるんです。それと、この時期の餌は、大きいニナ(カワニナ)を与えても食べませんので、何mmかのこんまい(小さい)のを取りに行くんです。川へ行って、バケツに水を入れときまして、石をじわっと持ち上げて、接地していた裏側をそっとバケツの水中でなでて落とす。これしか取りようがないです。ですから、毎日、朝5時くらいから起きて、嫁さんと二人で、2時間くらいかけて取ってね。腰が痛(いと)うてねえ。だから、朝晩ホタルにつきっきりなんです。
 夏の暑い盛りで、1か月くらいしたら、だいたい3~5mmくらいになります。その状態で、大水が出た後に1回目の放流をするんです。その後大きくなるのは、自然にまかせてやります。今は40万匹くらい放流してるんで、とてもじゃないけども、それは手元にはおけません。
 放流後は、自然の中で終齢幼虫まで大きくなって、翌年の3月末ころ、雨の日に上陸して地面に潜り、自分で作った土まゆの中でサナギになるんです。このためには、川底がコンクリートじゃいけませんね。こういう話は、みんな案外知らないです。ヨモギに付いている泡をホタルだと思っている人も多いです。飛んでる時しか、ホタルを知らないですからねえ。
 ただ、こないだも県事務所の所長さんに中山の川の工事について聞くと、今は小さい川でもセメン(セメント)を詰めなくて、全部石積みなんだそうです。これなら、ホタルだけじゃなくて、いろいろな生き物がすみやすいので、復活してくるんじゃないかと期待しているんです。」

 エ 「うちの田んぼをホタルに使えや」

 **さんたちの「ホタル保存会」の活動を側面から支えた人物がいた。今年(平成6年)1月3日まで、中山町教育長を務めていた**さんである。その**さんに、お話を伺った。
 「ここで生まれ育った。中山から出たのは、伊予農業学校へ行っていた間だけ。ずっと、百姓、農業専門じゃった。4Hクラブ(農家の生活改善などを目的とした農村青少年の組織)やったり、農業後継者の会を作ったり、青年団もやっておりました。それから、子供ができてPTAにも関係するようになったら、ひょっと教育委員になれということで引っ張り出されました。ところが、教育委員になると同時に教育長もやれということで、まったくの素人が教育長などできないということで断ったのですが、『あんたが、クリやミカンや綿羊を育てることと、人間を育てること、子供を、先生を育てるいうことには変わりはないんじゃ。その気持ちで、クリを人間に置き換えてやれば、心配ない。』と、県教育委員会の先生に言われて、結局引き受けて、14年間あまりやらしてもろたんです。
 自然破壊についていろいろ言われ始めると、子供にもなんとか認識さしたいと思いましてな。昔はホタルがたくさんおったけど、もう絶滅寸前じゃと。ほしたら、このホタルを甦らして、子供に飼育をさして研究をさすとともに川をきれいにせにゃあ、ホタルはすまんのじゃと。
 たまたま、佐礼谷小学校に理科の先生が教頭で来ていただいたんがきっかけで、ホタルの養殖を始めたんです。それと同時に、『まちおこし、まちおこし』の声がかかっとるところで、『よい、ホタルがもうおらんようになってしまうが、寂しいことじゃ。わしは、中山が好きじゃから、なんとかしたいんじゃ。』という**さんらのグループができました。そこのグループと、佐礼谷小学校で取り組んだホタルの養殖とが一緒に燃え上がりまして、当時、日浦中学校が取り組んでおりましたので、そこへも研究に行ってみたりしてね。
 行政としては、『研究費は学校へは組んでくれよ。』ということで予算をつけてもらいました。子供にも、『これが、ホタルの幼虫ぞよ。これを流してやれ。川はきれいにせいよ。川がきれいでなかったら、カワニナもすまんし、ホタルも飛ばんのぞ。』ということで、学校教育との一体化を図った。**さんは、そこらを一緒にやってくれましてね。学校へは研究ですから、わずかですが費用は出せるが、**さんたちには、どこからも金は出ません。そんな状況の中で、『なんとか大規模にホタルを養殖してみたい、自然に近いところで、養殖してみたい。』というような話が、**さんのほうからあったんです。この谷の川の下のほうに、わたしとこの田が3反あまりあるんで、『よい、ほしたらこの田んぼ、かまんけん、どういうようにでも、使(つこ)うて養殖やってみい。無償で提供するけんな、あんたら、それだけにやるんだったら、どういうようにでも、やってみい。』いうことで、個人的にですが、援助することにしたんです。ホタル小屋も建てたり、1反(約10a)ほど使って養殖を、2、3年くらいしたでしょうか。したら、実際にホタル小屋の中で、ホタルが飛び出してなあ。手掛けたホタルが飛んだというようなことで、当時はたくさんの人が来られました。そういうことで、ホタル保存についての認識も高まり、ホタル祭りもやろじゃないかということで、まちおこしの一つとして上がってきた。
 **さんも、当時は、まあホタル祭りするにしても、養殖場をこしゃえるにしても、資材から何からいるわけですが、これらはもう補助がないもんですから、自分らの労賃で自分らが出し合ってですな、水路なんかも作ったりいろいろして、かなり金銭的には苦労されとったんじゃろと思うんです。
 わたしも理科系については好きなほうですから、子供たちを自然になじましたいし、ホタルを一つの思い出としてやりたい。過疎ですから、中山で育ってから外へ出ても、ホタルが飛ぶころには思い出してくれるような子供を作りたいなあと、思っております。
 それに、子供が放流したんじゃということになると、川そのものをきれいにするように、流域の人が意識して考えるようになって、公民館活動でも年に1回は川掃除をしようやという声があがってきた。今は全町で、養殖だけじゃなく、この活動が定着している。
 やっぱり、中山町は山がほとんどですから、美しい山であってほしいなあ。山を美しくすれば川も美しくなりますから。そういった澄(す)んだ住みよい山と川を、いつまでもきれいに、夏でも山へ入ったらヒンヤリするような、自然を残したいなあ。つくづく、そう思います。」

 オ 苦労の連続

 ホタルの保存活動を継続してきた間の苦労について、**さんは、次のように語った。「環境庁の『生き物の里』については、町役場の職員のミスで申請洩(も)れがあったんです。『ほれなら、ホタルの数では中山が一番になったらええじゃないか。実質的に勝とう。やったるが。』というて、みんなが盛り上がったんです。
 ところが、ホタル祭りのためのホタルや雌を確保するために、自然の川でホタルを取っていると、『ホタルを取って、売りよる。』とか言われました。ちょうどその時期に護岸工事やホダ場工事(耕地の区画整理)がすごかったんで、餌になるカワニナもなかなか取りにくくなっていたんです。カワニナは雑食で少々川が汚れててもすめますし、大水で出た泥水はなんともないんですけど、護岸工事などで掘ったあとの泥水は、一発でダメです。僕も学者やないから、具体的なメカニズムはわかりませんが。
 それで、前教育長の**さんの田んぼが空いていたもんで、『貸してくれ、貸してくれ』言うて頼んだら、快く提供してくれたんです。『あそこにホタルを養殖して飛ばしとけば、なんぼ取っても大丈夫やから。』ということで、**さんの田んぼに水路を作ったり小屋を建てたりして、放流したわけです。
 放流すれば、ホタルは必ず飛びます。ただし、ホタルが定着するまでは、そりゃあ何年か続けて放流してやらないとだめですよ。やっと定着しかかって『これでいいぞ。』と思ったら、ちょうどその上を工事したりするとがっくりです。ですから、建設課に行って今後の工事予定とかを調べて、来年工事をするというような所は避け、工事が終わってからカワニナを放流し、カワニナが定着した次の年にそこへまたホタルの幼虫を放流するという、この繰り返しです。放流するときには、各小学校の子供さんと一緒に放流してもらうようにしています。
 苦労といえば、夜の見回りも大変です。シーズン中は毎晩、腕章つけて見回りです。実際捕まえたこともありますよ。夜中の12時に回っても、取りにくる人はおるんですよ。新聞にも載って、しばらくは取りに来なくなりました。が、ちょっと気い抜くとダメですねえ。その1か所がばかっといなくなりますから、すぐわかります。根こそぎですね。ほやからいつも『ホタルの天敵は人間や。』と言うんですけど、ほんとすごいですよ、きれいに取ります。
 ホタルは、(午後)10時くらいには葉っぱにひっつきますけど、ガサガサッとしたら光りますから、夜中でも取れるんですよ。僕らが雌を捕獲するときは、懐中電灯も何も持ちません。棒きれいっちょう持って、草の根っこのところでポッと光るのを取るんです。草の下のほうにひっついてますから、手つっこむのは困るんです。命がけですよ。だって、マムシがおるでしょう。もっとも、マムシを捕まえて帰るくらいのメンバーですから、かまれた者はおりません。ただし、夜、川へぞぶりますから、こけたり、けがしたりしても困りますので、うちのメンバーはみんな保存会で保険入っとんですよ。
 雌取りには必ず二人で行って、一人は上におってもらうんです。でないと、いっぱい車が並んで、見に来てる人がものすごいいてるわけです。『あれ、ホタル取りよるが。』言う人もおりますから、『保存会の人が入って、雌を捕獲しよんじゃ。』という説明をする人もおいとかないけんし。しかも、万が一の時の救助を兼ねておるんです。」

 力 やりがいは、「初ホタル」

 「『お前がこんなことするとは、夢にも思わなんだ。』いうて、ほとんどの者が言います。自分自身も、まさかこんなになるとは思わなんだです。
 僕らは、民間で始めたことですから、町の予算が全然ありません。友達に保証人になってもろうて、銀行からお金を借りて、びしょんこにぬれながら、いつマムシに食われるやらわからんようなことですからね。
 本業は室内装飾なんですが、やっぱり、仕事8割でホタル2割くらいやないですか。そのかわり、5月20日から8月の終わりまでは、もうホタルにつきっきりですからねえ。建築の大工さんらもよく知ってますから、その時期の工事については、『お前も忙しいけん。』というて、多少は伸ばしてくれるし、待ってくれます。だからこの時期は、商売になりませんね。正直言うて、そりゃあ大変です。(奥さんは)初めから一緒にやってくれています。好きなんじゃないかなと思うんだけど。でないとできませんよね、僕一人では。
 まあ、おかげで中山も、放流しなくてもある程度自然の中で復活してきてますし、もう農薬の問題なんかもないですから、たぶん増えていくやろうと思います。
 やりがいですか。5月20曰くらいから、ずーつと見回りして、一番初めにホタルがポッと出てきたのを見たらほっとしますけんねえ。もう、それだけです。」