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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(1)石風呂と海水浴

 **さん(越智郡大西町新町 明治44年生まれ 84歳)
 **さん(今治市桜井 大正15年生まれ 69歳)
 **さん(今治市桜井 大正14年生まれ 70歳)

 ア どんごしを治す石風呂

 子供のころ、桜井海岸が遊びのエリアであった**さんに、年齢をお聞きした。「明治ですよ!83歳ですよ!わたしはみなに言うんですよ、『まだ83ぞ!』。『たった83じゃが。』と。みなが笑いよりますわハッハ……。」はつらつとした**さんは、スラッと背の高い、そして声も若いお人であった。
 『石風呂』と記された1冊のファイルとアルバムを持ち出して、石風呂の歴史から語り始めたが、資料はいずれも『今治の郷土誌』編さんの際に集めたものである。
 「桜井に国分尼寺がありました。今は法華寺と言うんですがね。そこに『法華寺縁起』という文書(もんじょ)がございます。この文書によると、弘法大師がおいでましてね、石風呂へ。これは本当に病気によく効く石風呂だと、『空海が感心して、石風呂へ薬師如来の木像を作られて祭られた。』という伝説があります(写真4-1-10参照)。」
 人口の案内板にも、次の文章がある。

       石 風 呂
 この石風呂は、平安の昔、弘法大師が石窟を開いて里人の病気を治したのが始まりといわれ、近郷の人ばかりでなく、はるばる京から、公家や高僧が業病・難病の治療に訪れたといわれています。
 岩にできた自然の横穴を利用した約50m²の洞窟の中でシダを焼き、その上に海水で浸したムシロを敷きつめ、穴にこもった熱と蒸気で体を温める。いわば「天然のサウナ」です。
 神経痛のほか美容にも効くとあって、7月中旬から9月中旬までの開設期間には、多くの入浴客でにぎわっています。

 桜井石風呂運営委員会が昭和63年(1988年)に建立した「桜井石風呂碑」をみると、無住軒南明大禅師(*1)が、入浴によって持病の「しびれ」がたちどころに治ったことに歓喜し、その喜びを漢詩で表現したものがある(天和元年〔1681年〕)。

   巖洞焼柴敷海藻 平治萬病一方濱
   醫王善逝如来徳 游泳溢餘幾計人

 『此の詩の本書は遺逸(いいつ)せずして里の家に在り、之に依りて村上氏は此の詩を石に刻し(写真4-1-11参照)……』と読み下し文にある。文化7年(1810年)に建立された石碑が風化し、昭和63年に運営委員会が再建したものである。
 **さんが「安いんです、あそこは。」という石風呂の宿舎では、自炊をするのが普通だった。「泊り込みは周桑郡の人が多かったですね。越智郡では朝倉村・玉川町の農家の人で、田植えが済みますとね。『骨休めに石風呂へ行く。』と言って、ここでゆっくり休むことが、農家の人の唯一の憩いだったんでしょうね。」そういえば、三津屋南の**さんも、周布(しゅふ)(東予市)の伯父伯母に、田植えのあと、草取りが一通り済んだころに連れられて、4、5日泊りがけで出かけたと言っていた。昔から米どころと言われた旧周布村や桑村の人々は、米だけを持参してゆっくりとくつろぎ、からだじゅうの疲れを、汗といっしょに流し、英気を養って帰って行ったのであろう。**さんは続ける。
 「たくのはシダです、コシダ。大きいシダはしめ飾りに使いまさいね。どうも、コシダでないと、具合いようにたけんのです。」大体燃え終わったころから入る。まだ赤い火が見えるころに、ぬれむしろを敷く。「それに座って汗を流すわけです。わたしらも子供のときはね、ちょっと入ったら、なんぼにもよう辛抱せんので、すぐ飛び出しよった。」という石風呂入浴である。
 「潮水の湯気が立ちこめてね、本当に、からだ全身から汗が流れまして、すっきりしまさい。入ってみないかんですよ。そらもう、悪習なんかみな飛んでしまいまさい。えぇ。前夜の酒が吹き出すどころじゃない。心の中の汚れもすべてね。薬師如来のお陰(かげ)でしょうかね、ハッハ……。」としきりに勧める。そこには、温泉場とは違って厳しさもあるという。
 「子供のころは、えぇ5分くらいじゃなかったでしょうか。大人は頑張りますがね。中では灰にもぶれる(からだ全体に灰がつく)でしょ。だから海へつかって洗い落として、潮風呂(入口に設けられた、別室の海水風呂。広い。)へ入って、また、穴風呂へ入るという要領で繰り返すんです。田植えをすると、今のような機械植えじゃござんせんけん、胴が痛い。『どんごし(胴と腰)が痛い。』と言いよりました。えぇ。『どんごしを治さにゃいかん。』と、石風呂へ行きよったんです。」
 **さん(石風呂運営委員会委員長)を訪ねた7月30日は、今治市の補助事業で行われた「体験入浴」の日であった。地引き網大会は午前中に終わっていたが、参加者と自家用車で広い海岸は埋め尽くされていた。昼食に「鯛めし」も振る舞われ、老いも若きも喜々としていた(写真4-1-12参照)。
 海水パンツ1枚になって、入り口の事務所へ入る。**さんは、従業員にいろいろと指示しながら動く。聞き取りの機具とカメラを持って事務室へ上がり込み、しばらく様子を眺めることにした。当日は天気も回復して、真夏の太陽がさんさんと青い海を照らしていた。
 「今日で満70歳じゃ。」という友人の**さんが、しばらく聞き取りに応じてくれたので、録音テープを回しながら休憩室使用料受け取りの勘定を眺めていた。その日、石風呂は無料で開放されていた。
 「ここはね、もともとは孫兵衛作(まごべえさく)のもんじゃったんよね。しかし、孫兵衛作が、よう守りせざったんよ。それでね、桜井の浜と郷桜井と沖浦の3地域が一緒に、同じ綱敷(つなしき)天満宮の氏子として、昔から共同で経営しとる。」と教えてくれる。石風呂の経営には「財産区」と「運営委員会」が当たり、協議員は前記3地域から6:3:1の割合で選出している。どこから来るお客さんが多いかを尋ねると、「新居浜、松山。松山が多いね。大勢来ますよ。」「はい、いらっしゃい。」と**さんも忙しくなる。「はい。布団代は400円、蚊帳代が300円。布団は上下一組は700円。」と領収書を切りながら、楽しい会話が交わされる。頼まれて、昨年(平成6年)から事務所に座っている**さんは役員ではないと言うが、貫ろく十分で納まりがよい。気前よく預かる貴重品も、別に会符(えふ)を付けるでもなくたくさん並べているが間違いがない。「ぼつぼつ(石風呂に)入ってみましょうか?」とだれにともなく言うと、従業員のおばさんがにやにやしながら、「もう大分冷めとるじゃろ。」と初体験のわたしを励ましてくれた。
 スポーツタオルを頭からかぶって端を口にくわえ、カメラとテープレコーダーをわしづかみにして、すすが付かぬように、熱い鉄枠に触れぬように、かがんで入る。入り口右手から奥を照らすライトで先客を見る。頭からすっぽりタオルで包んだ頭と、ひざを抱えてうつむきかげんに座る人で透き間が分からない。シャッターを押す(立ちこめる湯気で失敗)。「奥が空いてますよ。」と声がかかった。ためらわれたが、後続の人もあるので、しぶしぶ奥へ詰めて、早いとこ聞き取りをしてと(もう逃げ腰)隣の人に話しかける。
 隣りに座っていた人は川内町(温泉郡)からだと言った。大阪から帰省した妹さんを伴い、いとこさんと3人連れである。昭和24年生まれだから46歳、お客さんの中では若い方に入るが、もう5、6年石風呂へ来ている。「近くに道後温泉も鷹子(たかのこ)温泉もあるでしょう?」と問うと、「道後には悪いけど、こっちがいいんですよ、海があるでしょ。」と答える。なるほど、桜井石風呂には、天然サウナと海の両方を満喫できる魅力があるわけだ。「この熱さなら」20分や30分は大丈夫でしょ。」と語っている。慣れた男性の中には、海水パンツだけで入浴する人もあるが、女性の重装備はすごい。
 運営委員長の**さんによると、今年(平成7年)の実績は次のとおりである(数字は概数)。

   ① 営業期間 7月10日~9月3日
   ② 入浴客数 約6,800人
   ③ 泊り客  約420人
   ④ 県内外の割合 県内7割、県外3割
   ⑤ 地引き網参加者(7月30日) 約300人
   ⑥ 風呂たき 1日2回(9:00~10:00、13:00~14:00)
   ⑦ シダの量 予算では2,000把(ば)
   ⑧ 入浴料等 入浴料500円、部屋代(1部屋)5,000円、4,000円、3,000円
   ⑨ 従業員  6名(男子3、女子3) 運営委員長・副委員長は土曜日・日曜日出勤
 
 水泳だけで訪れた人も加えると、大体1万人ほどになるようである。予算を立て、決算報告をする。燃料のシダについては、今年は1月から石風呂の裏山で刈ったという。同じ場所は4年たたなければ成長しないので、朝倉村や玉川町へ依頼することもあり、新居浜市へ注文したこともあったようで、かなり広範囲で確保している。コシダに混ぜて、小指大くらいの雑木を燃やすと火の具合がよいとのことである。**さんはさらに続ける。
 「熱いのがえぇ人は、時間どおりに来てくれ。」とやかましく言う。入浴者にも好みがあって、普通は1時間ほど待って入るが、「風呂がたけましたよー。」と放送すると、7、8人はすぐ入る。2時間たつと大分冷めてくるので、その間に、好みで何回も入浴するらしい。委員長さんは、いろいろな客の声を聞きながら、土・日で翌週の計画を立てることにしている。
 「テレビで全国放送してくれるので、県外からもよく来てくれる。」と言うように、全体の3割、約2,000人が県外からの客である。もともと、業病・難病に効く桜井石風呂として、はるばる京からおくげさんや僧侶がこの地を訪れてはいるものの、手近なところにレジャー施設が増えた昨今、この吸引力は大きい。行者の修業にも似た石風呂入浴と、白砂青松の海がマッチして、さわやかな潮風の中にやすらぐことができるからだ。


*1:長福寺(東予市北条、臨済宗妙心寺派)の中興第一世(1616~1684年)といわれ、没後3年目の貞亨4年(1687
  年)、東山天皇から「虚霊空妙禅師」の禅師号を贈られた。

写真4-1-10 空気窓が海に向かって開く石風呂

写真4-1-10 空気窓が海に向かって開く石風呂

薬師堂の直下に広さ50m²の洞くつ(岩の横穴利用)がある。平成7年7月撮影

写真4-1-11 南明大禅師の漢詩と読み下し文

写真4-1-11 南明大禅師の漢詩と読み下し文

平成7年6月撮影

写真4-1-12 石風呂の海岸

写真4-1-12 石風呂の海岸

平成7年7月撮影