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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(3)森は海の恋人

 ア 漁家の生業と森

 (ア)一通の手紙

 気仙沼湾でカキの養殖を生業としている畠山重篤さんから手紙が届いた。

   拝復 お便りいただきありがとうございました。漁民による植林や森づくりがなぜカキの養殖に関係あるのかなどの意外
   性が興味を惹くのでしょうか、各地の学校から教育の中で取り上げたいという希望が多くなって参りました。実は今年の
   2月だったでしょうか、香川大学附属小学校の先生から問い合わせがあり、公開研究授業でこのことを取り上げたいとの
   ことで資料等を送りました。
    今のところ、まとまっているものはありませんが拙著「森は海の恋人」(北斗出版)を参考にしていただければ幸いで
   す。手前みそで恐縮ですが6月19日からNHKラジオ11時半からの「私の本棚」で「森は海の恋人」が12回放送される
   ことになりました。……(後略)……

 これは、今年(平成7年)6月1日午前8時からNHK総合テレビで放映された仙台放送局の「牡蛎(かき)の森を慕う会」を見て、わたしが彼に送った手紙の返事である。仙台市立第二中学校が環境保護体験学習として計画した集団宿泊訓練を取材した番組であった。
 岸壁の事務所の一角と思われる部屋に居並ぶ生徒たちは、カキの発生に関する畠山さんの声を聞きながら、ビデオテープの映像に見入っていた。「森に降った雨は腐葉土の養分を溶かしてやがて海へ下り、植物プランクトンを育てる。カキはそのプランクトンを食べて成長する。」と説明していた。カキの養殖いかだへ着けた作業船で、大きな生ガキを口一杯にほおばる子供の生き生きした目が強く印象に残った。『森は海の恋人(㉑)』は朝日新聞6月3日付の『天声人語』で次のように要約されている。
 「畠山さんは、子供の時から海の男として育ちながら、山や森の恩恵を受けてきた。たとえば、海上の自分の位置を正確に認識する『山測り』は、山々が重なり合う景色と山への距離感とをたよりにする。漁場を定める上で、山を見ることは欠かせない。また、船や漁具の多くは木材など森の産物だった。
 山や森の深い意味をさらに痛感したのは、フランスを旅して各地のカキを味わった時である。いいカキがとれる海には河口が開けていて、必ず、上流に豊かな森があった。気仙沼湾にも大川が流れ込んでいるが、上流の様子はどうか。
 カキの海を守るためには、森が大切なのではないか。畠山さんは1989年に、仲間と『牡蛎(かき)の森を慕う会』を作り、大川を十数キロさかのぼる岩手県室根村の山々に植樹をすることにした。地元の歌人熊谷龍子さんの歌『森は海を海は森を恋いながら悠久よりの愛紡ぎゆく』に触発されて標語もできた。『森は海の恋人』だ。
 カキやホタテガイや小魚にはプランクトンや海藻が必要だ。その増殖には鉄分が欠かせない。鉄分は森の腐葉土層で有機物と結びつき、川を通じて流れ出る。霊妙な自然の連鎖である。あす、気仙沼湾の海の民は、大漁旗を掲げ、山の民の協力を得て、ブナやミズナラなど約五〇種の広葉樹の苗木三千本を植林する。これまでに八千本植えている。」
 三陸海岸から世界に向けて、畠山さんは営々と情報を発信し続ける。これが直ちに、自分の代で実を結ぶことはなくても、豊かな未来に向けた、現代の責任だと受け止めている。

 (イ)魚を育てる森

 **さんは、船大工を3年間修業した後一本釣りの漁業に転向した。今と違って、浜の吹きさらしの中での造船は大変寒く、つらい仕事であった。「しかし、何よなぁ。木がないと船も作れんし、道具もあらかた木を使うとるんじゃけん、漁師のくらしも山があってのことで、山や森には手を合わして拝んどらないかん。」と言う。
 船材には日向(ひゅうが)杉を使った。『森林文化への道(㉒)』で筒井迪夫はこのことに触れ、「飫肥(おび)(宮崎県)のスギは九州・四国地方の船材として供給され、弁甲材(べんこうざい)の名声をとどろかせた。」と述べている。「弁甲杉いうてな、ここらのスギでは割れてしまうが、それはねばいスギで、船体の曲げ具合に向いた板じゃった。」とほめる。かつての大型木造船の設計図でも、適材適所というように、非常に多くの木が使われ、それぞれの産地から取り寄せているのが分かる。山や森は、航海の目標や山測り(山立て)の目印になったばかりでなく、生業のために用いる漁具の供給源でもあった。**さんが言う「山を拝む」ゆえんである。
 また、鈴木和次郎は、『続森林の100不思議(㉓)』の中で、魚を育てる森について次のように述べている。「森林が河川の魚類の生息や繁殖に果たす好適な役割については、古くからさまざまな形で述べられてきた。たとえば、森林は河川の氾濫(はんらん)を抑え、水温や水質を保つなど河川環境を保全する一方、流路に倒れ込んだ木々が小さなダムを作り、魚類の生育・繁殖のための多様な環境を作り、樹木から供給される落枝落葉は魚類のえさとなる豊かな水生昆虫相をはぐくむ。」と河川周辺に発達する森林と魚類の密接な関係をあげ、「河川上流部の森林からくる落葉の分解された栄養素を含む水は、沿岸部のプランクトンに豊かな養分を供給して魚類を養い、沿岸漁業に恩恵をもたらす。」と海との関係に言及しながら、最近東北、北海道地方にみられる磯やけ(海の砂漠化-海藻が死滅して魚類の繁殖、生息環境を損なう)を取り上げて、周辺森林の復元再生を呼びかけている。

 イ 海と山とのきずな

 **さん(今治市郷新屋敷 大正10年生まれ 74歳)
 **さん(越智郡玉川町法界寺 大正8年生まれ 76歳)
 **さんが親しみを込めて**さんと呼ぶ**さんは、今治市の助役を退職すると、請われて今治市・玉川町及び朝倉村共有山組合第八代組合長に就任した(昭和61年4月~平成7年7月)。**さんが今治市企画室長兼水道局長の職にあって、玉川ダム建設に携わった時期(昭和40年〔1965年〕着工、昭和46年7月通水開始)に、ダム上流の、今治市・玉川町及び朝倉村共有山の第六代組合長をされていたのが実父である。親子二代にわたって蒼社川の治水・利水にかかわり、水源の森育成に尽くされたのである。
 **さんは、今治自然科学教室設立(昭和36年)の当初から、自然に対する深い理解と文化的な事業に意欲を示した前市長さんに、物心両面にわたる絶大な援助を得た。当然のことながら、市政の中枢におられた**さんとは肝胆相照らす仲であったと推察される。昭和62年(1987年)に発足した『水と緑の懇話会』が構想する「ふれあいの森」づくりの中にもまた、二人の固い絆を見るのであった。
 **さんからいただいた『今治・越智地方緑と水の文化史(㉔)』には、明治12年(1879年)以降の治水・利水と水資源確保に向けた、地域の指導者たちのエネルギーが凝縮されている。
 朝日森林文化賞優秀賞の受賞を記念して鈍川(にぶがわ)に建てられた水源の森記念碑を訪ねると、林野庁長官小澤普照揮毫(きごう)の立派な記念碑が、きれいに手入れされたスギ-ヒノキ混交複層林を背景にして迎えてくれる。左手の細い林道へ足を踏み入れると、あちこちに立て札の付いた記念植樹の幼木を見る。最近この地を訪れた名士の多いことに驚きを感じつつ、再び記念碑へ立ち帰ったとき、左右の石文を読んで、なるほどと納得した。
 地域63か村が一体となって野山の所有権確立運動に取り組み、朝日森林文化賞森作り部門優秀賞受賞までの、心血を注いだ115年の組合史を目の当たりにして、あらためて受賞の意義を思うのであった。そこには、流域全体の、人間と水とのかかわりを直視した森づくりの偉業を感じるのである。気仙沼湾の海の民が、山の民の協力を得て始めた森づくりとは対象的に、山の民、野の民の先駆的な森づくりを見るのである。しかもこの大事業は、**さんが力説する「森林の哲学」に根ざした歴代組合長の一貫した取り組みとして今日に及んでいる。まさにこの地は、先哲の魂が眠る水源の聖地と言うべきであろう。
 200mほど下ったところに、モダンで明るい木造りの建物がある。森林館(写真4-2-22参照)である。「名前だけが一人歩きをせんように、充実したものに育てていかんとね。」とつぶやく**さんは展示室の室長さんでもある。「わたしが削ってかんなをかけた。」という木材標本が書架式に棚に並んでいた。42枚の板は、この共有山に育ったものであろう。
 展示室に、スギの木目も美しい板に書かれた黒田如水(じょすい)の水五則(*7)に並んで、**前組合長がとなえた森五則(写真4-2-23参照)が配置よく立っている。優しく人々に語りかけるこの森五則こそ、共有山組合初代組合長曽我部右吉(明治35年~大正4年、昭和10年~昭和24年と初代及び5代組合長として在任)以来受け継がれた共有山の哲学であり、水と緑の文化である。
 平成2年(1990年)、第8回朝日森林文化賞の入賞6団体と3氏の発表とともに、選考委員筒井迪夫の『評』が、朝日新聞(同年6月18日付)で報ぜられている。
 「今治市・玉川町及び朝倉村共有山組合の森づくりへの思いは、古くから頻発していた土砂崩れ、水害と闘ってきた住民の生活の歴史の中から育ってきた。郷土を破壊し続けた『荒れて恐ろしい魔の山』を『緑の美しい富の山』に変えたエネルギーの源泉は、郷土の安全を守るという『郷土を愛する心』であった。組合が活動理念として掲げている『森林は民生のゆりかご』の言葉の中に、ここの人たちの緑に寄せる思いが込められている。」とし、「自然と人間が共生する」世をつくることは、現代のわたしたちの悲願であり、責務であるが、それは郷土を愛する、地味な、長い、たゆみない努力なしには不可能である。受賞した方々は、それを身をもって訴えておられると結んでいる。
 『森林は民生のゆりかごであり、第一のダムである。』(村上龍太郎)(*8)


*7:1 自ら活動して他を動かしむるは水なり
   1 つねに己の進路を求めてやまざるは水なり
   1 障害にあいて激しくその勢力を百倍し得るは水なり
   1 自ら潔うして他の汚濁を洗い清濁あわせ容るる量あるは水なり
   1 洋々として大海をみたし発しては雲となり雨雪と変じ霧と化す凝ってば玲瓏たる鏡となりしかもその性を失わざるは
    水なり
*8:元農林省山林局長、全国緑化推進委員長、今治市出身。

写真4-2-22 美しい渓流沿いにできた森林館

写真4-2-22 美しい渓流沿いにできた森林館

木の香も新鮮な展示室と休憩所が訪れる人を待つ。平成7年7月撮影

写真4-2-23 森五則

写真4-2-23 森五則

平成7年7月撮影