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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

第1節 海を舞台に

   春潮や 和寇の子孫 汝と我 (高浜虚子 波止浜公園に句碑)

 瀬戸内海は、古代から西日本の海のハイウェイの役割を果たしてきた。さらに、瀬戸内海は、世界の海洋につながり、古代から国際交流の基本ルートであった。瀬戸内海に接する愛媛の人々は、古代、中世以来、瀬戸内海で活躍した伊予水軍の歴史的伝統を受け継ぎ、進取の気性を発揮して、積極的に海運業と海上交通を支えてきた。本節では、愛媛県の基幹的な地場産業である海運業を支え、海を舞台に、昭和の時代を生き抜いてきた人々の歩みとくらしを明らかにしたい。
 「1 愛媛の海運を支えて」では、まず、大正、昭和前半から戦後にかけて、親子、夫婦が一体となって帆船、機帆(きはん)船に乗り組み、さらに昭和30年代から小型鋼船に乗り組んで内航海運を支えてきた越智郡波方(なみかた)町と北条市の一杯船主の歩みと姿を描いた。次に、昭和40年代から東南アジア方面に進出した近海船(*1)、さらに、世界各地に進出した遠洋船(*2)と、内航海運から外航海運に発展し、グローバルな国際的物流の一翼を担ってきた波方町、今治市の海運業者の歩みを描いた。
 「2 瀬戸内海の南北航路を支えて」では、芸予航路や今治-尾道航路など瀬戸内海の南北航路の歩みと、そこで旅客船の安全運航に尽くしてきた船長、機関長の歩みと姿を描いた。
 「3 海の若者を育む」では、内航海運の代表的な拠点である波方町において、地域の期待のもとに、内航海運の船員養成を担ってきた国立波方海員学校の歩みと、海を目指して学ぶ若者のロマンを描いた。


*1:近海区域を航行する船舶。近海区域は、東経94度(マレー半島西)と175度(日付変更線の西)、北緯63度(カム
  チャッカ半島北)と南緯11度(ジャワ島)の線によって囲まれた海域。
*2:遠洋区域を航行する船舶。遠洋区域は、世界中のすべての海洋を包含する海域。