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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(3)紙の町からの発信

 ア 「川之江紙のまち資料館」

 **さん(川之江市金生町 昭和9年生まれ 61歳)
 川之江市は大小様々な製紙業、紙加工業、製紙機メーカー、手すき和紙業が共存する全国でも珍しい紙の複合産地である。「紙の町」と呼ばれるにふさわしく、4万に近い人口の7割以上が、何らかの形で紙に関係しているといわれ、紙と市民は非常に深いかかわりがある。市は、紙に関する様々な事業を展開しており、昭和63年(1988年)には「紙のまち資料館」をオープンさせた。
 「紙のまち資料舘」は、この地方の製紙業を育んだ金生(きんせい)川のほとりにある。紙聖と敬慕(けいぼ)される篠原朔太郎(しのはらさくたろう)の銅像(写真2-1-4参照)が玄関に立つ。玄関ロビーには、紙の生まれる前の書写材料パピルスや粘土板の展示がある。玄関を入ると水引細工の第一人者であった井原時三郎(故人。愛媛伝統工芸師)の「龍」の力作が目を引く。「紙のまち資料館」は、手すき和紙、機械すき、紙加工、水引細工等の特色を一堂に集め、見学やイベントに参加することのできる体験学習施設である。
 展示では次の三つのコーナーがある。

   ① 市内で生産される多彩な紙、加工品の展示と即売コーナー(当地方は書道用紙、奉書紙、祝儀用品では全国一の産地
    である。)
   ② 時代の先端を行く産業や医療を支える不織布、エレクトロニクスやバイオテクノロジー支える機能紙の展示
   ③ 和紙、洋紙の原料から紙になるまでの製造工程の現物やイラストでの解説

 特別展示室では、企画展による紙文化の紹介と講座に参加した生徒の作品展も実施。昨年(平成6年)好評だったものに郷土の作家展(井原時三郎代表作品展)、日本張り子展、きり絵展など、その道の第一人者の作品展や絵手紙展がある。紙講座は6種10講座、参加者は約240人で遠隔の地からの参加者もある。手すき体験のできる実験室で、手軽にはがき、色紙などを作る。再生した紙の原料を、すき枠(わく)ですくいあげ乾燥させると、10分余りの時間でできあがる。押し花や細かくちぎった千代紙、好みの染料をすき込めばユニークさも増す。大人から子供まで人気のコーナーである。開館以来の入場者は17万人で、平成6年には、アジア諸国を中心に海外からの来館者は100人を越えた。

 (ア)展示、運営の工夫

 紙のまち資料館の開設準備から、開館後も今日にいたるまでかかわっている、**さんは、「前の製紙試験場長が学者肌で、文献を残して亡くなられた。それを寄贈していただいたので、資料館ではあらゆる分野の研究をしている。製紙の関係は多様で第2次の内容整理を、不況の中で企業に無理を言って5,000万円ほど集めて2年をかけて行っている。文章の語句一つ間違っても指摘がある。呼称でも和紙関係になると地方によって呼び方が違う。例えば『ネリ』と言う地方があれば、この辺では『ノリ』と言う。どう言う呼び方があるのか調べなくてはならない。
 工程についても、機械すきになると、市民の人で製紙会社に行っている人たちが一番詳しく、自分の受け持ちに誇りをもっているので、そこが省かれていると、大事なこの工程がないと指摘がある。全ての工程について説明したら素人には分からない。基本的に見て分かるようにするには、どこかを省かなければいけない。どこを省くか、プロの人から見れば、字句一つ間違っても指摘がある。全くの素人から、プロから、学者の方まで、だれにでも、満足してもらえるにはどうしたらよいか、その辺りが大変難しい。結局あまり具体的になると読んで分からない。そこで説明が分からないものは、現物を置いて、目で追っていくなかで理解してもらう。そういう方向をだいぶ取り入れました。」と、その苦心のほどを語られる。
 資料館では、幾度となく足を運んでもらうため次の3点を取り入れている。

   ① 体験的学習。自分で水の中に手をつっこんで、紙をすく。すいたものを持ち帰る。
   ② 紙工芸の企画展示。この地方では目に触れることのできない高度な紙工芸の展示をする。
   ③ 講座開設。紙そのものをいろんな分野に加工し、工芸的なもので紙になじんでいく。継続的学習につながる講座学習
    を開設する。

 (イ)創作品「野山の和紙」

 **さんは、「産地独自のものというのでなく、野山の草や木の皮をすきこんだすき込み紙を作っている。書道家が来られると必ずお見せしてサンプルにあげるんですが、書道家は、紙自身がもつ、さまざまな植物繊維のかもしだす地模様を見て創作活動の意欲がわくと言って、興味をもってくれる。このような創作をして、この資料館だけのお土産にしている。かなり関心が高まってきていて、『抄き込み絵画』、あるいは『抄き絵』などのネーミングを考えている。ちょっと考え方をかえれば、紙の原料、繊維、それ自体が絵画的な原料ともなる。」と話される。

 (ウ)市民への啓発

 「市民の方々は、紙の中にどっぷりつかっている。だから、紙のことについて知っていると思っているが、実はあんがい知らない。コウゾ、ミツマタは知っているが、雁皮(がんぴ)(*17)というと知らない。人によると、『こんな表皮からできるんですか、木材からできると思っていた。』と驚く。そこで和紙と洋紙の説明ができる。現物を目で見ることによって分かってくる。分かっているようで分からない。現物を見せることで、『これはうちの山にも生えている。これは、うちでは、オセと言うんだ。』と、鬼の首をとったように、がいに(大変)自慢げに言う。あるはずなんです。雁皮は栽培できない。全て野生です。実生も移植しても根が着かない。やせた山に生えている野生のものです。原料を目で見ることによって関心が高まってくる。興味関心のもてるような展示をすることは効果があるが、実際は、なかなか難しい。」と**さんは語る。

 (エ)人の輪(ネットワーク)の広がり

 「こういう仕事をしていると外国の方も含めて、東京の大学の繊維関係の先生とか、各地の紙工芸家などと人の輪ができ、資料館の外の人とのふれあいが大事となってくる。講座の関係で、カルチャー教室をやっているんですが、月1回の学習会に遠くは大阪、広島、岡山から日帰りで勉強にやってくるんですよ。水引き細工ですが、もう何年も続けておられる熱心な方もおります。ここで5年もやりますと、一応の技術をマスターできますから、自分の地元で塾を開くこともできますね。そうなれば、紙に対する一つの文化が芽をふいていくということになる。この資料館は、ここに足をとどめているということだけでなく、人を通じてあらゆる地域に浸透していくという効果もあります。本四架橋の効果などともあいまって、館の活動範囲がますます広域化されることが予想されます。
 また、こんな例もあります。岡山で会社を経営している女性の方で、3か月に1回、朝から晩まで手すきをされて帰る。普段の日には一般の来館者に迷惑がかかるので、休館日にわたしがずっと指導している。そんな熱心な方もおります。」
 **さんは今後を展望して、「『紙のまち資料館』は、今では、地域になくてはならない存在になってきている。参観者の広がりもみられる。業界関係で外国の方が当地に来るとここに案内する。教育委員会などの研修の場としての利用も多い。」
 調査で訪問した時、韓国の若者達か手すきはがきに挑戦していた。さらに地酒や郷土料理などと結びついた複合的施設が必要という話も聞いた。「重点は企画展(イベント)です。例えば絵手紙展ですね、また川之江市は、書道用紙の生産地でもあるので、全国の書道展などいろいろ考えられます。今もできつつあるが、人と人とのネットワークの蓄積、あるいはそれを支えていくための全国を視野に入れた施設の建設なども今後必要になるでしょう。」と、将来の明るい夢を話された。


*17:ジンチョウゲ科の落葉低木。暖地の山に自生、樹皮の繊維を製紙の原料とする。

写真2-1-4 紙聖篠原朔太郎銅像

写真2-1-4 紙聖篠原朔太郎銅像

平成7年8月撮影