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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(1)今治の造船

 ア 波止浜湾と造船所

 高縄(たかなわ)半島の北端、来島(くるしま)海峡に面して幅250m、長さ1kmの細長い湾がある。湾の三方は山で囲まれ、湾口の北方には、歴史で有名な来島水軍の拠点となった来島(くるしま)、小島(おしま)がある。ここが、愛媛県の造船工業の発祥の地ともいうべき今治市波止浜(はしはま)で、この湾は波止浜湾と呼ばれる。両岸は造船所が集中立地してクレーンが林立している。
 波止浜は、天然の良港で、来島海峡に臨むところから帆船(はんせん)時代から船の風待ちや潮待ち、あるいは避難港として利用され、港町として栄えたことや、塩田による塩買船の建造が多かったことなど、造船業の起源は、地元海運業との関係が深い。西隣には、古くから海運業の町として知られた波方(なみかた)町があり、大正期から昭和の戦後まで、船による石炭輸送が盛んで、これに活躍した木造帆船や木造の機帆船の建造や修理を手がけたことが基礎になっている。

 イ 近代造船工業の成立と歩み

 波止浜湾に近代造船工業が成立したのは明治35年(1902年)の波止浜船渠(せんきょ)が最初である。さらに、昭和18年(1943年)に戦争のための政府の企業合同と合理化政策により、伊予木鉄船(いよもくてつせん)と今治造船が塩田の一部を埋め立てて立地した。
 波止浜船渠は、大正13年(1924年)初めて鉄鋼船を手がけ、昭和15年住友傘下(さんか)に入った。戦後は住友から分かれ、昭和27年来島船渠、昭和41年(1966年)に来島どっくと改称されたが、その波止浜工場が昭和63年(1988年)、現在の新来島どっく波止浜工場となった。
 伊予木鉄船は昭和25年波止浜造船と改称されたのち、昭和53年(1978年)の倒産を経て波止浜造船波止浜工場、昭和63年よりハシゾウ波止浜工場となり、修繕船主体となる。
 今治造船は今治造船(有)と今治船渠が合併して創業されたもので、木造船を造っていたが、昭和29年(1954年)休業。昭和30年に檜垣造船と愛媛汽船が協力して再開し鋼船を手がけ始めた。その他の造船所もほとんどが昭和30年(1955年)から昭和35年までに木船建造から鋼船建造に転換し、わが国の高度経済成長期に地元海運業の発展とともに大成長をとげている(図表2-1-14参照)。
 『愛媛県史(⑬)』によると木造機帆船の本格的鋼船化は昭和30年代である。この転換を容易にした要因として、造船所の月賦販売(げっぷはんばい)方法の採用と、技術面での溶接技術の発達によるブロック工法(*30)の開発など、工期の短縮とコストの引き下げが図られたこと、特に今治の主力造船所が、同型船のシリーズ建造方式(*31)で受注を伸ばしたことなどがあげられる。
 経済の高度成長が進むにつれ、船舶の中大型化が進むとともに、主力大型船台(*32)の今治市外への移動がみられた。昭和38年(1963年)来島どっくの越智郡大西町大井(おおい)への進出、昭和45年今治造船の香川県丸亀(まるがめ)市進出、昭和48年波止浜造船の香川県多度津(たどつ)町進出などである。
 注文生産である造船業は、当然のことながら海運業の好、不況に左右される。昭和48年のオイルショックに端を発する造船不況(昭和51~53年)は今治地方においても大きな打撃となったが、これを機に設備削減とグループ化が進められてきた。さらに円高不況(昭和60~62年)、韓国の台頭などによる影響は深刻であったが、愛媛の造船業は過去幾度となく訪れた不況に耐え抜き、結果として我が国におけるポジションを高めてきた。
 愛媛の鋼船竣工額(しゅんこうがく)は、1,636億円で全国シェアは11%にのぼり(平成5年度)、全国的にみても広島、長崎に次いで3位である。愛媛は主に中小型船に強いので、竣工量(しゅんこうりょう)(工事の完成量)53万2千総トンの全国シェアは6%ながら、竣工額で同11.2%と高くなっている。今治地区には、造船所が集中しており、しかも、県内の主要な造船所が立地していることから、平成5年の輸送用機械の製造出荷額(愛媛の場合90%以上が船舶関係)では今治市が県全体の31%、周辺の大西町や越智諸島が合わせて54%で、今治地区全体では85%にも達している(平成5年)。
 なお、今治市における輸送用機械の占める割合は、事業所数で2%、従業員数で5.7%、工業出荷額で24%であり、タオルと並んで大きな地位を占めている(平成5年)。
 今治市の許可工場(*33)数は平成7年で8社。波止浜湾内に7社、市内砂場(さば)に1社が立地している。また建造が6社、修繕が2社である。8社のうち今治造船の建造船台16,800G/T(*34)が大きく、浅川造船、檜垣造船がともに5,999G/T、西造船、新来島どっく波止浜工場が4,999G/T、ハシゾウ波止浜工場、繁造船は修繕主体となっている。矢野造船は699G/Tである。


*30:船体を大きなブロックに分割し、そのブロックを他の場所でつくっておき、一個ずつ船台で積みあげていく。
*31:同じ船型の船を連続して造る。
*32:コンクリートで固めた傾斜地に、船を組み立てる台をならべてその上で船をつくる。船体ができたら船尾から海の方へ
  滑らせて浮かべる。
*33:500G/T以上または長さ50m以上の鋼製船舶の竣工、修繕ができる設備を使用する工場。
*34:船の大きさを表すための指標。船の容積をもとに算出する。特にことわりなくトンといえば、総トン数を表すのが一般
  的である(本書でも、以下特別な場合を除いて単に「トン」と表記する。)。G/T(Gross Tonnage)と略記されるこ
  ともある。

図表2-1-14 今治市の輸送用機械の推移

図表2-1-14 今治市の輸送用機械の推移

『現代の今治地誌 近・現代4(⑫)』より作成。