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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(1)通勤の島-四阪島の現状

 **さん(新居浜市田の上 昭和15年生まれ 55歳)
 住友金属鉱山別子事業所四阪工場に勤務の**さんに四阪島の現状をうかがった。

 ア 銅から亜鉛へ

 「現在、四阪工場では、鉄鋼メーカーから出る亜鉛を含んだ産業廃棄物である、鉄鋼ダスト(SD(*16))を処理して、酸化亜鉛を製造している。
 まず、前処理工程では、原料のSDを還元(かんげん)キルンとよばれる炉(*17)で、コークス、石灰石とともに約1,200℃で還元処理し、亜鉛を揮発させ、微粉末状態にして電気集塵(しゅうじん)機で集める。こうして得られた亜鉛は、粗酸化亜鉛とよばれ、亜鉛(55%)、鉛(なまり)(7%)、塩素(10%)のほか重金属類を含んでいるので、次に湿式(しっしき)工程で処理を行う。
 湿式工程では、粉末状の粗酸化亜鉛を水でとき、凝縮(ぎょうしゅく)、ろ過を繰り返しながら不純物を除去し、最終的に乾燥・加熱キルンで約1,100℃まで加熱し、ペレット(丸薬(がんやく))状にする。これが、酸化亜鉛焼鉱(しょうこう)(亜鉛63%、鉛7%程度を含む。)である。粗酸化亜鉛中に含まれている塩素は、設備腐食の原因になったりするので、この工程の中でソーダ灰と反応させてほとんどが除去される。酸化亜鉛焼鉱は、あくまでも中間製品であり、さらに兵庫県加古川(かこがわ)市の自社亜鉛製錬所に送られて、亜鉛と鉛が生産されるが、製錬所のニーズに応じて、現在では焼鉱と団鉱を2対1くらいの割合で送っている。なお、還元キルンから出る還元鉄ペレットは、当初、鉄鋼会社の原料にする予定であったが、現在は、セメント用鉄源、製錬脱硫剤、地盤改良材などに利用されている。」

 イ 通勤船に乗って

 「島での生産を続ける中で最も気を遣うのは、電気と水と通勤手段の確保である。
 電気は、当初、島で発電をしていたが、現在は住友共同電力と共同で海底ケーブルを埋設して(以前は5本、現在は2本)、新居浜から送電している。ところが、これが船のアンカーなどにひっかけられて、地絡(ちらく)事故(海底ケーブルの被覆が傷つけられ、海水が侵入したり、アース状態になったりする。)にいたる場合があり、電気が来なくなることがある。過去には、同時にすべてのケーブルが地絡したことがあり、このときはNTTの通信回線も途切れて、完全に孤島化した。これを機に、緊急通信用として、無線機(孤立無線機)を設置し、非常時には、これを利用するようになった。ケーブルの復旧は、日本でも3隻くらいしかないという作業船に依頼するが、早くても半月近くかかるので、たとえ1本のみの地絡であっても、その間は保安操業だけにして生産はしないとか、一つのキルンだけで変則操業を行うなど、苦労をする。
 水は、新居浜から水船で運んでいる。1日の消費量が1,000t前後なので、水船(『みのしま』)を2往復させているが(通勤用にも使用。写真2-2-13、図表2-2-12参照)、台風や海がしけたときは欠航になり、操業停止にいたることもある。
 通勤手段の確保もたいへんである。
 四阪工場には、現在62名が勤務しているが、そのうち、酸化亜鉛の製造は4直3交代で、24時間連続の作業となっている。1班は6名構成で、夜間(2勤・3勤)は、この6名が工場全体を管理するような形になっている。
 3交代の就業時間は図表2-2-12のとおりで、2勤が短いのは通勤の便を考慮したものである。勤務のサイクルは、3勤を4日して1日休み、次に2勤を4日で1日休み、そして1勤を4日して2日休み、再び3勤にもどる、というのが原則であるが、実際にはことはそれほど単純ではない。年間の休日数や勤務時間をあわせるために、月に1回は『制度補勤(せいどほきん)』と呼ぶ2交代の日を作って対応するなど、年間の勤務表(交代カレンダー)の作成には、非常に頭を痛めている。ただ、交代勤務は、慣れると活用できる昼間の時間が多いので、何かにつけて便利な面もある。
 通勤は、以前は1時間10分かかっていた。冬は暗いうちに家を出て、暗くならないと帰れなかったが、平成4年からは高速艇『みのはな』(写真2-2-2参照)が就航し、所要時間も半分の35分に短縮され、たいへん便利になった。
 問題は台風などの時である。海が荒れたといって、操業を止めるわけにはいかないので、2勤者や3勤者はあらかじめ島で待機をする。それができないときには、そのとき勤務している6人を半分ずつに分けて、保安操業を行う。生産はしないが、炉だけは保温状態を保ち、台風が去ればすぐに操業ができるようにしておくわけである。常一勤者(昼間だけの勤務者)も、必要があれば島で待機させることがあり、したがって、自宅が台風で危ないようなときでも四阪に泊まることもある。
 春先には、たまに霧で欠航することがある。霧は急に出ることがあり、新居浜は出航したものの、途中から引き返したこともある。船が沖を走っているうちはレーダーで航行できるので、島のすぐ近くまでは来ることができるが、接岸するのがむずかしい。四阪までは来たが、霧が晴れず、桟橋で鐘をたたいて船を呼び寄せたようなこともあった。
 海を渡るだけに、足の確保には、陸上では考えられないような苦労がある。」

 ウ 島は心のよりどころ

 「わたしは、四阪で生まれて、四阪で育って、四阪で採用されて、その後、40年間、四阪で勤務してきた。わたしのような四阪生え抜きという者はもう数えるほどしかおらず、入社して初めて四阪を知ったという若い人たちが、工場の中心になりつつある。だから、工場内のことはよく知っているが、工場の外はあまり知らない、行ったこともない、という人が増えてきた。正直言って、わたしたちのような四阪で生まれ育った者とは、島に対する愛着が違うと感じることもある。島にはいろいろと苦い経験もあるが、いい思い出もたくさんあった。
 四阪の出身者の中には、一度島へ行ってみたい、という希望が多いそうだ。現在、四阪工場勤務経験者のOB会(『一島一家の会』)があり、毎年4月の総会は、島で開くことになっている。何歳になっても、島に行きたいという気持ちは強いと聞いている。工場の大煙突(大正13年〔1924年〕完成。高さ80m)は、今治や新居浜からも天気の良い日には見え、四阪で働いた者にとって、いわば、心のよりどころになっている。もう一度、四阪島がにぎわいをみせる日が来ることを夢見ている。」


*16:STEEL DUST。自動車のボディ等、亜鉛メッキをした鉄スクラップを再利用する際に出てくるもので、鉄を35%、亜
  鉛を20%、鉛を2%程度含む。
*17:直径3.5m、長さ50m程度の大きさの炉。ゆっくり回転しながら、焼いていく。第一還元キルンは昭和52年(1977年)
  に、第二還元キルンは増産体制に入った平成4年に造られた。

写真2-2-13 四阪工場と水運搬船(みのしま)

写真2-2-13 四阪工場と水運搬船(みのしま)

平成7年12月撮影

図表2-2-12 四阪工場における就業時間と通勤船ダイヤ(平成7年12月現在)

図表2-2-12 四阪工場における就業時間と通勤船ダイヤ(平成7年12月現在)

「みのはな」は高速艇、「みのしま」は普通便兼水運搬船。②便「みのしま」は新居浜発10:00、四阪着11:10、四阪発11:50、新居浜着13:00。