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臨海都市圏の生活文化(平成7年度)

(2)銅を活かしたまちづくり

 **さん(新居浜市中村松木 昭和30年生まれ 40歳)
 **さん(新居浜市一宮町  昭和28年生まれ 42歳)
 **さんと**さんは、「銅夢物語・新居浜市民会議」のメンバーとして、「銅を活かした新居浜の個性あるまちづくり」に取り組んでいる。
 「銅夢物語(どうゆめものがたり)・新居浜市民会議」は、別子銅山開坑以来、長く銅とつきあってきた新居浜市(民)の銅への思いを具体的行動にまで昇華(しょうか)させるため、平成6年3月に設立された市民の自発的組織である。これまでの主な活動は次のとおりであるが、このほかにも、「銅メタルワーク教室」などを、月に1、2回程度のペースで開催しており、その活発な活動ぶりが市の内外で注目を集めている(㉖)。

 「銅夢物語・新居浜市民会議」の主な活動
   平成6年3月 設立総会
       7月 設立記念講演会「銅を活かしたまちづくり」 京都大学教授 内井昭蔵
       9月 「銅(あかがね)inマイントピア別子」開催
       10月 「別子銅山近代化のルーツを調査する英仏調査団」派遣
           (平成7年6月 報告書出版)
   平成7年2月 「銅夢物語・新居浜フォーラム」開催
       8月 「第2回銅(あかがね)inマイントピア別子」開催
          「めざせ!銅山史と自然の学習ランドフォーラム」開催

 市民会議の事務局長を務める**さんの話。
 「『銅を活かしたまちづくり』というのは、10年ほど前からいろいろな形で提案し続けてこられていましたが、その具体的なプランを出そうということで、一昨年(平成5年)の夏ころから『銅を生かしたまちづくり研究会』をつくり、そこで知恵をしぼりプランを作りました。それができると、今度は実践をする必要が起こり、あらゆるジャンルの人を集めて実践団体を作ろうじゃないか、ということでできたのが、『銅夢物語・新居浜市民会議』です。昨年(平成6年)3月に発足しました。現在はもう、新居浜からは銅はとれませんが、実際に銅がとれていたという歴史や、銅そのものを(実際に、わたしを含めて新居浜の人はあまり知らないと思いますが)いろいろとさぐり、情報として残していければということと、歴史を正しく伝えていくことができれば、ということで出発しました。
 活動の分野は、『学術文化』『技術工芸』『景観デザイン』の三つがあり、それぞれ勉強会をしながら、自分たちも育っていくと同時に、この活動を長く長く続けることによって、あとの世代も育ってくれれば、と思って頑張っているところです。
 銅の工芸家の育成を目指しているメタルワーク教室は、今はまだ、わたしたちがちょっとつつき始めて、それぞれがのめり込んでいるというような状況で、金属の中に自分の形を表現するとか、自己を表現するというおもしろさに夢中になっているところです。だれでも、自分という色を出したい、自分が生きたあかしを残したい、というようなところがあると思います。今は余暇時間が増えたこともあり、豊かな生活を送るにはどうしたらよいか、ということが一つのテーマになると思いますが、自分をもう一度見つめ直し、新居浜市で生まれ、新居浜市で育って、新居浜市で生きている、そういう自分の人生の中で、銅が、一つの素材としてきらっときらめくような生涯が実現すれば、すばらしいのではないかと思っています。新居浜だからこそ、銅がその人の人生を彩る要素の一つとなっていったらいいのではないか、そして、また、新居浜でこんな技術が育ち、こんな品物ができて、それが家庭の中に入っていけたらいいなと思います。
 また、歴史をたどることによって、正しい歴史を子供たちの教育の場で生かしていけるようになれば、子供たちの中に、郷土に対する愛情が出てくるのではないかとも思っています。今の新居浜については、子供たちが自分のふるさととして十分に語れていない、という気がします。わたしたちとしては、ふるさと新居浜についてさまざまに語ることができ、自分が生きている地域を誇りにすることができる、そんな子供を育てたいと思いますし、また、新居浜が、語るべきものがいろいろある生き生きとした町であってほしいと考えています。ふるさとを離れた子供たちが新居浜のことを語るときに、力強く援護射撃ができるような活動を続けることができれば、と考えています。
 現在、『銅夢物語・新居浜市民会議』ということで、銅にこだわってとことんやっていますが、新居浜市ではそれ以外にもいろいろな活動が行われていますので、将来は、それらが複合しながらまとまっていき、新居浜の皆さんが、みんな何かに参加している、何かにかかわっている、というようになれば、仕事以外に自分の生き方をちゃんと持っているという人生を作っていけるのではないかと思います。」
 **さんの話
 「新居浜は工業都市なので、『産業』という言葉は似つかわしいが、『文化』という言葉は軽視されるところがある。しかし、『産業』と『文化』が調和をしていないと、本来のまちづくりはできないのではないか。新居浜は工業都市ではあるが、そこには当然のことながら人間が暮らしているわけだから、生活の場としての機能も持たざるを得ないし、当然持つべきだと思う。
 わが国が産業構造の転換期を迎えたと言われ始めてすでに久しいが、それは新居浜でもあてはまることではないかと思う。重厚長大の素材型産業から軽薄短小の知識集約型産業へ、言い換えれば、ハード重視からソフト重視への産業構造の転換期にあたり、わたし自身は、新居浜の将来を担う子供たちに対しても、現状を押しつけてしまうのではなく、ここをターニングポイントとして新しい目標を与えたい、そういうことをしなければならない時期にさしかかっているという気持ちをここ数年持ち続けている。そういう面からも、産業だけでなくいろいろな点で、今、自分が生きている町を見直すということは、次代を担う子供に伝えなければならないことを正しく把握するうえで必要なことではないかと思っている。
 今の新居浜は、今たちまち必要なものしか見ていない。町として、せっかくいいものを持ちながら、それを将来に向けて残そうという努力が足りないのではないか。それはとても『もったいない』ことだと思う。
 現在、わたしたちがメタルワークの指導を受けている岡山在住の田中均先生から、『新居浜は、捨て去るものと持ち続けなければならないものを区別せずに捨てている。これでは時の流れの中で継続性は望めない。まさに使い捨ての文化ですね。技術もいっしょで、たとえば金属の鏡面磨(きょうめんみが)きや、鉄錆(てつさび)防止のためのおはぐろのように、古いものの中に、実は今の先端技術が追いかけているようなすぐれたものが隠されている。そこを理解して、もっともったいないと思ってほしい。』と言われたことがある。古いものを惜しむという気持ちが大事だと思うし、そういう意味からも、これからは文化の時代ではないかと思う。
 自分自身についても、メタルワークという活動を通じて、何時間も作品づくりに没頭し、『頭の中が真っ白になる』という経験、言い換えれば、『己(おのれ)を空しゅうする』という時間を持つことが、とても有意義であるし、また必要であると思う。最近は、何かそこで得た経験、忍耐力、結果を引き出すまでの努力の繰り返し、細かい観察力、そんなものが仕事や実生活の面でも出始めたように思う。今まで見過ごしてきたようなことにも目が向くようになったし、思考回路にも変化が出始めたように思う。わたしもいろいろな分野のことに手を出してきたが、やってやって、それでもまだやり足りなかったものがこれかな、言い換えれば、これが自分にとっての最終地点かなと思ったりもしている。
 わたしたちの活動の中には、子供たちにやんちゃな場所を提供するという大きな目的があるように思う。この夏、子供たちに銅に触れてもらう場を提供したときも(会場内はそこらじゅうにバーナーはある、酸はある、火はボーボー燃えている、わけのわからない工具類がガタガタいっているというような状態だから無理もないが)、保護者の中には、いかにも心配そうな顔をして見ている人もいた。そんな保護者の様子を見ていると、最近子供たちの理工系離れが指摘されているが、その裏には、子供たちを危険が伴うような理工系から遠ざけたいという保護者の過保護な考え方があるのではないだろうか、と思ったりもした。と同時に、わたしたちの活動によって、そこを突き破れる可能性も見えてきたかな、という感じも抱いた。保護者にも、子供たちといっしょにメタルワークに参加してもらい、それに没頭してもらうことにより、製造現場に対する認識が改まり、子供の希望が実現される道が開けるのではないか。泥まみれ、すすまみれになって作品づくりをする、そういう過程を自ら経験することで、製造現場への理解が深まるのではないかと思う。
 新居浜は製造業でもっている市だから、子供たちが製造現場から離れてしまうと、結局、新居浜の町からは若い人がいなくなってしまうというようなことにもなりかねない。そのような意味からも、新居浜に生きる者として、わたしは物づくりを大切にしたいと考えており、そこにわたしたちの活動の意義があるのではないかと思っている。」

写真2-2-18 銅を生かした建築物(市立別子銅山記念図書館)

写真2-2-18 銅を生かした建築物(市立別子銅山記念図書館)

丸屋根の銅葺きが、新居浜らしさをよく表現している。平成7年12月、(社)公共建築協会から公共建築賞優秀賞を受賞した。平成8年1月撮影