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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅳ-久万高原町-(平成24年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第1節 土佐街道の街村、久万町

 久万町(くままち)は標高490mの久万盆地の中心地で、北から住安町(すみやすちょう)、本町(ほんまち)、古町(ふるまち)、桂町(かつらちょう)、福井町(ふくいちょう)、曙町(あけぼのちょう)(当初は古市(ふるいち))、上野尻(かみのじり)に地名が分かれる。江戸時代から菅生山大宝寺(すごうさんだいほうじ)の門前町、松山から高知へ至る土佐街道の街村(がいそん)(街道に沿って帯状に発達した集落)として発展し、明治以後は上浮穴郡の政治、経済、文化の中心地として栄えた。『久万町郷土誌』によれば、明治35年(1902年)の戸数534のうち、商業330とあり、明治30年ころには現在に近い商店街が形成されていたと考えられる。
 現在も旧国道33号沿いに南北約1.5kmにわたり商店街が形成されているが、昭和41年(1966年)に国道33号バイパス(現国道33号)が完成し、役場、警察署、郵便局など官公署やバスの駅舎、商店の一部は移転した。自動車の普及や各交通機関の発達、国道33号の改修、三坂道路の開通(平成24年3月)により久万-松山間の所要時間が短縮され、町内の顧客の町外流出により、商店街は厳しい状況にあるが、地域住民の憩(いこ)いの場としての新しい街づくりに取り組んでいる。
 久万町の町並みと生活について、Aさん(昭和8年生まれ)、Bさん(昭和13年生まれ)、Cさん(昭和14年生まれ)、Dさん(昭和16年生まれ)、Eさん(昭和21年生まれ)、Fさん(昭和26年生まれ)、Gさん(昭和14年生まれ)、Hさん(昭和34年生まれ)から話を聞き、昭和30年ごろの町並み図を作成した(図表1-1-1参照)。

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み①-1

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み①-1

調査協力者からの聞き取りにより作成。

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み①-2

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み①-2

調査協力者からの聞き取りにより作成。

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み②-1

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み②-1

調査協力者からの聞き取りにより作成。

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み②-2

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み②-2

調査協力者からの聞き取りにより作成。

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み③-1

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み③-1

調査協力者からの聞き取りにより作成。

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み③-2

図表1-1-1 昭和30年ころの久万町の町並み③-2

調査協力者からの聞き取りにより作成。