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愛媛のくらし(平成10年度)

(2)エビスさんのにぎわい

 1月10日に行われるエビス祭りを「十日戎(とうかえびす)」といい、大阪市の今宮戎神社や兵庫県の西宮神社など、関西で特によく知られている。吉田町でも国道56号沿いにある住吉神社の境内にその末社として言代主(ことしろぬし)神を祀る通称恵美須様があり、ここで毎年1月10日早朝に行われる「十日戎」は、今もたくさんの参拝客でにぎわっている。**さんに聞いた。
 「わたしがこの祭りにかかわるようになったのは、昭和50年代のはじめころからです。当時は宮司さん(安藤神社と兼務)のお手伝い程度でしたが、宮司さんがなくなられて一時中断したのを、総代(*9)を中心にして再開したようなわけです。それが昭和53年(1978年)ころですから、もうかなり長うなりました。
 総代が行うようになってからは、婦人部(魚棚地区)がバザーを開いて、『えびすうどん』や『えびすそば』などを出すようにしました。おかげで人出は増えました。よっぽど昔は知りませんが、戦後は今がピークじゃないでしょうか。というても、700人か800人くらいですかね。このお祭りは、早くお参りするほど御利益(ごりやく)があるといわれていますので、皆さん朝の4時、5時ころからやってきますから、だいたい午前10時ころには終わっています。せいぜい4、5時間の間ですから、小さい町としては、この数字は多い方じゃないかと思います。地域の住民が心を入れて一生懸命やると、参拝客も増えてくるんじゃないでしょうか。
 わたしが神社へ行くのは10日の午前2時ころですから、ほとんど前の晩は寝ることはできません。総代たちが、拝殿でお札を渡したり、社務所で福笹(ふくざさ)を売ったり、甘酒の無料接待をしたりするんです。まあ、そういう雑用が多いですわなあ。前日からほとんど睡眠を取ってない状態ですから、直会(なおらい)はその日はやりません。十日戎が終わると、やれやれお正月が終わったなという感じになります。
 祭りで配る福笹は本物を使っていますので、前の日は、山ヘタケを切りに行く仕事でかれこれ1日かかります。モウソウチクの枝を1,500本くらい取って来るんです。さあ、タケにして、2、30本は切りますかね。総代さんが全員出て切るんですが、タケも寒のうちに切りますと、一年中葉が落ちんのですよね。不思議じゃなあと思います。
 西宮(西宮神社)は『笹持って来い。』ということで、各自が笹をもって来て神社で飾り物を付けるという感じなんですけど、うちは、こちらで笹を切ってあげといて、いろいろ飾り物を一緒に渡して、自分で飾るという感じです。飾り物は、縁起物を15種類くらい用意します。俵や小判などは、奈良の業者から取り寄せています。また、大福帳、蔵の鍵、きんちゃく袋などは紙で作ります(写真1-3-8参照)。1年の間に暇々をみて作るんですが、相当の時間がかかりますので、準備は早め早めにしていくように気を付けています。なんぼ(いくら)遅くても、12月の初めころまでにはそろえないといけません。
 時代が変わりましたから、うちでもやがてはプラスチック製とか既製の福笹を売るようになるんじゃないかなあと思います。まあ、わたしの目の黒いうちは今までどおりでいって、作り方の見本も残しとこうとは思っとるんですけど、わたしもいつまでもするわけにはいきませんでね、おいおいはそうなるだろうと思っています。早いうちに後継者を見つけて教えておかないと、あと続かんなあと心配はしとります、実際のところ。」


*9:旧町内17区(北小路1、2、3区、東小路1、2区、桜丁、西小路、大工町、裡町1、2、3区、本町1、2、3区、
  魚棚1、2、3区)から各1名ずつ出ている。

写真1-3-8 福笹が幸運を招く

写真1-3-8 福笹が幸運を招く

平成11年1月撮影