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愛媛のくらし(平成10年度)

(1)春立つころ

 立春の前日が節分である。月の満ち欠けを基準にする旧暦では、立春に先立つ朔(ついたち)を元日にするのが原則とされたことから、立春が新年の目安とされ、その前日の節分には年越しの性格が付与された。節分の夜、豆をまいて鬼(災い)を追い払う「オニヤライ」が、昔、宮中や社寺で大みそかに行われた追儺(ついな)(悪鬼を払い、疫病を除く儀式)の名残であるとされる(⑤)のは、その一例である。**さん、**さん、**さんの話によって、吉田の節分風景の再現を試みた。
 「(**さん)吉田町では、節分には大豆(だいず)をいって、それを年の数だけ紙に包んで、それで身体じゅうをなでて、厄払いに四つ角にまくんです。子供のころ、父と一緒に豆をまきに行ったとき、『帰るときは後ろを振り向くものじゃないぞ。戸も後ろ手で閉めよ。』といつも言われていましたので、この年になってもいまだに、後ろをよう振り向かんのです。昔は、お金なども入れてまいていたそうですが、今は大豆だけです。環境にはあまりよくないかもしれませんが、朝になると大豆のこうばしい香りが町内に漂っています。『鬼は外、福は内』と言って豆をまくことは、わたしのところではしていません。
 わたしの家では、大豆をいるときは、まずトペラの葉を入れてパチパチ言わすんです。葉がはぜるのがいいそうで、それをはじかせてから豆をいれと母から言われていまして、今でも必ずそうしています。また、この日は玄関にヒイラギの小枝を置くことにしています。イワシの頭(*10)も、鬼がにおいを嫌がるので置きなさいと言われますが、わたしのところではしていません。」
 「(**さん)子供が小さいときには、わたしとこでも、家の中で『鬼は外、福は内』と豆まきをしました。吉田では、昔から自分の年の数だけ豆を袋に入れて、町の辻(つじ)へ後ろ向きに投げて帰るという風習があります。『1秒でもはよ(早く)、帰ってくるんぞ。』と両親によう言われてまして、一目散に帰っていました。それは今もしとります。
 わたしらが子供のころには、厄年の方は厄払いということで、このとき豆と一緒にお金を入れていたんです。わたしらは、それを物陰に隠れてじっと見ていて、ちゃりーんと音がしたら走っていってお金を拾っては、トリモチを買ってメジロの一番子を取りに行きよりました。『そのお金は、こういう意味があってのお金やから取ってきたらいかん。』と両親によく怒られたことでした。」
 「(**さん)わたしの寺(一乗寺)では節分会(せちぶんえ)に星祭りをします。人にはそれぞれ自分の星というのがありますので、この日は各人の星のお札を祈禱(きとう)してお配りするんです。で、その前段として、節分までの大寒の間、寒行をします。4年前までは毎朝5時から町内を団扇太鼓(うちわだいこ)(一枚革を円く張り、柄をつけた太鼓)をたたき、お題目を唱えて歩いて回っていました。よくテレビなどで托鉢(たくはつ)(僧が修行のため家々を回り、鉢に米やお金を受けて回ること)なんかをやっているのを見ますが、あれと同じで、寒の修行をして、節分のときにより効果のあるお札を皆様にお渡しできるようにということでやっていたんです。しかし、50歳を過ぎてからは、家族から『朝早く起きて突如運動すると健康によくない。起きて2時間くらいはゆったりしておけ。』と反対されたりして、今は本堂で約1時間お経をあげるだけにしています。」


*10:節分のときにイワシの頭をヒイラギの枝にさして入り口に置く風習は、「ヤイカガシ」とよばれ、全国的にみられるも
  のである(⑤)。