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愛媛のくらし(平成10年度)

(2)梅雨のあとさき

 吉田町では、例年6月上旬の梅雨入りから7月中旬の梅雨明けまでの約1か月半の間、高温で雨の多いじめじめとした天気が続く。鮮魚を扱う**さんにとっては、食中毒の発生など、気の休まらない日々である。
 「魚屋をやっとりますと、夏場はやっぱ(り)、衛生面で気遣うことが多いですらい。一番はとにかく水洗いをすること、まな板、包丁、ふきんがやっぱ一番大事ですなあ。
 今、わたしは、宇和島地区食品衛生協会の吉田支部長をしよんですらい。こんな商売しよりますと、食中毒など出したら大事(おおごと)ですけん。それで、6月、8月、9月、10月の4回、保健衛生を促すため、20店舗くらいずつ包丁やまな板、手などの検査(フードスタンプによる大腸菌群検査)をして回ります。ですから、今ごろは、みな包丁やまな板をよく干しますし、そういうことを励行するようになりました。やっぱ、平生から衛生を考えておかなんだらいけませない。
 わたしとこは、親父(おやじ)の代から魚棚で魚屋をしよりまして、わたしも尋常高等小学校がすんだらすぐ家の手伝いをするようになりました。そのころは魚市場も魚棚にありまして、魚屋がずらりと並んどりました。魚がよう売れて、商いがおもしろかった時代ですらいね。どの店も、昼は魚を売って夜は料理屋をやりよりまして、芸者さんも大勢おりました。
 吉田の魚市場も寂しくなりましたなし(なあ)。昭和30年代から40年代ころには、東シナ海の方からサバ、イワシ、タチウオなどが大きなトロ箱に300から400くらい船で来よりました。『生(なま)ボート』言うてなし、船がよう入りよりましたけん。韓国との境あたりで操業しよったんですなあ。あそこでとれるサバは大きかったですけどねえ。今は、土佐沖のハツ(キハダマグロ)やカツオと、あとは宇和海の地物で、ほとんどがトラックや釣り船(漁船)で来ています。
 競(せ)りでは、潮と天気、それと、新聞に出る相場と市場に揚がっとる量を見て、値をつけていくんです。市場見回って、『今日はこれで勝負』いうもんを目つけとって、さっと買うんですらい。競るときのあの感じはなんともいえません。そらそうでしょう、命がかかっとんやもの。あれが一番おもしろいですらいねえ。わたしももういつ魚屋やめてもええ年になりましたけど、それがあるけん、ようやめんのですらい。『魚市場で息引き取ったら本望やけん、このまま続ける。』言よるんです。やっぱ、魚はおもしろいですなあ。魚、見なんだら寂しいです。魚屋やりよって、いつ目つぶっても悔いなんかありませない。
 魚屋いうのは、朝が早いですよ。普通は朝3時ころに起きて、5時ころから仕事を始めるんです。てんぷらしたり、太刀巻(たちま)き(*15)したり。市場は6時半からで、市場の帰りしなにお得意さんのところを回って売って帰るんです。朝が早い分、昼は30分だけは睡眠をとることにしてまして、店も12時から1時半までは休んでます。魚屋いうんはおおかた一日立ってますし、魚をさばくのも、大きなのになると力がいります。夜は、やっぱ魚を食べながらちょっと晩酌をして、で、ぐっすり寝ましたら、翌朝は身体も平常ですらい。
 魚には、どの魚にも旬いうのがあります。わたしは、自分が扱う魚はどういう魚でも一応食べてみるんですけど、一山なんぼ(いくら)いうような魚でも、ほんとにおいしいいう時期がありますらい。けど、一年を平均すると、やっぱ吉田ではアジですなあ。年中平均して揚がりますし、だいたい年中、味がいいでさいなあ(ですなあ)。どんなにしてもおいしいですし、お客さんもアジやったら納得しますなあ。
 魚の生きのよしあしは、つや見たらわかりますらい。そら、素人さんにはこういうあごをして、こういう目の色をしとったら、新しいけんと教えてあげたらええですけど、玄人にそういうこと言いよったら笑われる。目やあご見ることありませない。つや見たらもうすぐにわかりますらい。
 これまでにハツ、何百本さばきましたろか。たいがい魚に恨まれらいと思います。ほじゃけど、みんなに食べていただいてええ往生さしてあげとるんじゃけんな。やっぱ、魚きれいに食べてくれるとうれしいですらい。それが一番の供養じゃと思います。」


*15:タチウオを3枚におろして、身を竹に巻いて照り焼きにしたもの。