データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業Ⅷ -新居浜市-(平成27年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 漁村の昔と今

 燧灘(ひうちなだ)の中央海域に面する新居浜(にいはま)市の沿岸部、新居浜浦と呼ばれた地域は、浅海漁場が広がり、近世にはタイやサワラ、スズキなどが多く獲れ、大坂(おおさか)へ送られていたため春から初冬にかけて活況を呈していたという。また、新居浜市沖に浮かぶ大島(おおしま)、かつて大島浦と呼ばれていた地域は、漁業や海運業により豊かな財力を確保していたことから、他の地域の人々から金島と言われていた。水深が深い良港をもつ大島には、3月から5月のタイやサワラの漁期になると瀬戸内海沿岸の播磨(はりま)、安芸(あき)、周防(すおう)のほか、紀伊(きい)からも漁船が来て大島の港を根拠地として漁を行っていた。
 戦後になると、住友関係の工場が立地する新居浜市の東須賀(ひがしすか)や中須賀(なかすか)地区などの沿岸部では、海水の汚染や生活環境の悪化の問題が起こったことから、沢津(さわづ)漁港改修事業が昭和41年(1966年)から実施され、港の改修に合わせて漁民団地を形成し漁業世帯の移転を図るなど、その対策が講じられてきた。
 一方、農業に目を向けると、離島である大島は水田が多く見られる新居浜平野とは異なり、山の斜面を利用したイモやミカンなどの畑作栽培が中心であった。
 本節では、昭和30年代、40年代における新居浜市沿岸部での漁業について、Aさん(昭和9年生まれ)、Bさん(昭和10年生まれ)から、大島における農水産業や人々のくらしについて、Cさん(昭和5年生まれ)、Dさん(昭和15年生まれ)からそれぞれ話を聞いた。